2006年02月18日
母語でない環境で一人大人である事はストレスなのかも
通園時の園児刺殺の話。
飽くまで想像でしかないけどさ。
中国籍のお母さん。
幼稚園に行かせる事自体は特に問題と思っていなかったみたいだけど、嫌がったのはグループ登園。
飽くまで個人登園させたがってた。
とかなんて話を聞くと、耐えられなかったのは、自分の子含め子供達と大人一人の空間(送迎の自動車)の中に閉じ込められる事だったのかな、とか想像する。
子供の精神世界は大人とは違う。
話す言葉も、ものの受け取り方も、全て違う。
日本語を母語にしている俺とかですら、息子の友達とかの子供だけの場に独りでいると、どう対応してよいか悩むことがある。
明らかに悪いこと、ではないけど、うちで息子にはそんなことをするな!と怒っているような行動や言動を、息子の友達がやったらどうするか、いろいろ悪戯をされてどこまでを大人の度量として受け入れてどこからを他人の子でも叱らないといけないか、とか...。
それでも、子供が取りたがる行動とか、子供特有の乱暴であったり残虐であったりするような言葉遣いとか、過去自分もその言語空間・文化空間の中で生活してきたわずかな記憶があるものだから、そこから判断してその悩みも限定的な範囲に収まる。
でも、その言語空間で育ってきた記憶を持たない中で、子供の中で大人が一人という環境に押し込まれてしまうとどうだろう?
自分の子供ととの間でなら別にいい、その親子の間、家族の間の独自のルール、独自の文化でコミュニケーションの採り方を探ればいい。
けど、その独自空間が通用しない、言語的だけでなく大人子供的にも異文化な空間に、庇護者たるべき大人の立場でおしこめられれば、そのストレスたるや相当なもんではないかと思う。
子供なら普通に使うであろう乱暴な物言い、それがよいのか悪いのかも判らない、子供同士のふざけ合いやおちょくり合いも、手心の度合いを共有しなければ、自分や自分の子供がいじめられているのか、親愛の範囲内でじゃれあわれてるのかも判らない、何か起きても注意してよいのかどうかもわからない、注意しない事でなめられたりしていないのだろうか、逆に変なところで注意して変な親だと思われたりしていないのだろうか、とか、とか。
まして、そんな悩みを持っていたとしても、そんなまれな環境にあるのは自分一人の問題、誰にも相談もできない...。
そんなこんなで鬱屈したストレスが、爆発してしまったのかなと思う。
真相は本人にしか判らないけど、今出ている情報を聞いて、自分も子供を育てる身として比較して想像してみて、そう思った。
Excerpt: 以前にもこんなエントリを書いたが、この事件に割と興味を持っている。 ...
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Tracked: 2006年03月20日 17:22
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・わしズムを読んで「アイヌは民族じゃないよ だから先住民族ではあり得ない」というような奴には、「国連先住『部族』の権利に関する宣言だよ」で問題ない(kokogiko)
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