2006年11月13日
就職氷河期問題と外国人移民開放のジレンマ
私としては、日本人の定義はもっとリベラルでいいと考えているし、今しばらくは人口漸増社会にしておいた方が、有権者も為政者もそれに慣れているのだからそうしても構わないと思うのだが、私が首を傾げてしまうのは、にも関わらず経済成長を多くの人々が唱えていることなのだ。それほど経済成長が大事なら、なぜ一番手っ取り早く確実な「母数を確実に増やす」という政策を選ばないのだろうか。
経済成長は欲しい。しかしその果実は日本人から生まれた日本人の間だけで分配したいというのは、さすがにご都合主義が過ぎるのではないだろうか。
Carrying Capacityとか難しい議論は判らないけど、私も日本人の定義はもっとリベラルでいいと思う。
まあ左がかっているからこういう話題ではすぐ旧植民地人の末裔達の去就と照らしあわせてしまうのだけど、一度は帝国を夢見た国が、夢破れたからといってそのケツ拭きもせず「国民は血統主義」に拘っているのはアホ臭いし無責任すぎる。
最低限その意味だけでもリベラルになるべきだ。
またうちの子供が行く幼稚園なんかでは、都心ということもあって既に園児の1割は肌が黒かったり、髪の毛が赤かったり、姓名両方を発音しても息子の名前だけの発音より少ないような子が居て、俺の子供の頃からは想像もできないようないい刺激を息子は日々受けてきているようだ。
そういうのを見ていても、日本人の定義がリベラルになることによりそのような隣人が増える事は、もちろん個々の問題を取り上げれば色々衝突もあるだろうが、総論的にはよい方向に進む気がしている。
とは、思うのだ。
思うのだが。
「日本人の定義をリベラルにすべき」本来の目的であるところの、労働力の供給元としての外国人移民となると、現時点でこれを開放するのがいいのかどうか、私にはよく判らない。
というのも、以前も取り上げた就職氷河期被害者の就職の問題等、日本国内ですら職がなくて困っている人がゴマンといるのに、単純に外国人移民に職を開放してしまっていいのだろうか。
判らない。マジ判らない。
自動車部品工場の単純?労働なんかもあるけれど、今主に挙がっている外国人労働移民の対象としては、看護師とかIT技術者とか、特殊な技能を持った分野での人不足が中心になっていると思う。
その意味では、そういう技能を持たない就職氷河期被害者が門前払いになるのは仕方がないところもあるとは思うけど。
とはいえ、実際にある分野で人不足があり、その一方で就職できない人達がいて、かつ政策として再チャレンジを掲げるのならば、そういう分野の人材として就職氷河期被害者が再チャレンジする機会を作ってもいいんじゃないか?と思う。
海外労働移民を受け入れるのもいいけれど、その一方でその連中と競争できる機会を国内氷河期被害者に与えなければ、被害者達はますます社会から見捨てられた感を増すのではないだろうか。
弾さんとかは、この問題にどういうふうに処方するのだろう?
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・「定義できない」とのたまうものを自説根拠の説明の中で延々と使う不誠実(笑)(むにゅう!)
・絵文字標準化でのキャリア批判に思うこと(kokogiko)
・文化は変わっていくのは当たり前だからこそ、今問われているのはリアルタイムの選択(むにゅう!)
・絵文字標準化でのキャリア批判に思うこと(ひゅ〜)
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・文化は変わっていくのは当たり前だからこそ、今問われているのはリアルタイムの選択(むにゅう!)
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