2007年01月21日
5歳では社会的ルールを持った遊びはまだ早いのだろうか
先日、息子を公園に連れて行ってびっくりした。
小学校低学年くらいのお兄ちゃんと息子と同じ位の弟の兄弟が遊んでいて、こっちがサッカーボール持っていたので、それで一緒に遊んでもらったりしたのだけど。
サッカーするならサッカーの概念、敵と味方がいてボールを取りあいする、だとか、そのボールをゴールに入れたら勝ち、だとか、そういうのを知らないと遊べないわけだけれども、息子や弟君はそれを知らないので俺やお兄ちゃんが一生懸命説明したんだけど、息子も弟君もそれを全然理解しようともせず、ルールに則って遊ぼうとしない。
というか、なんか訳判らないと思うや、勝手にすべり台やアスレチックの方に行って、勝手に遊ぼうとする。
サッカーでは難しすぎたのかと思って、お兄ちゃんが「だるまさんが転んだ」や「鬼ごっこ」に遊びを変えてくれたけど、それもルールが理解できなくててんでバラバラ。
なんとか「かくれんぼ」は一緒に遊べたのだけれど、見つけたら陣地にタッチしに帰るとか、そういう複雑なところは一切抜きで、ただ隠れたのを見つけるだけ。
しばらくして遊んでくれた兄弟君が帰るのと入れ替わりに、息子の幼稚園で同じクラスの男の子が遊びに来た。
当然合流して一緒に遊んだんだけど、彼らの遊びようを見ていると、その友達が持ってきたウルトラマンの宇宙船を砂場に埋めたり掘り出したり、そういう個々人の遊びを繰り返しているだけ。
別に、「こんどこれ貸して。」「いいよー貸してあげる。おうちに持って帰ってもいいよー(次に遊ぶ時に返してねの意)。」とか、そういうコミュニケーションはあるし仲はいいのですが、遊んでいる内容は単に「1人遊びが2つある」という状況。
なんか我が子やその友達ながら、それでいいのかなという気がしてきました。
とか言いつつ、自分が同じ歳くらいの時どうだったかという記憶がなくてよく判らないのだな。
自信を持って「社会的な遊びをしてたよー」と言えるのは、小学校低・中学年くらいからで、それ以前がどうだったかという記憶がない。
中学年くらいの頃に入ってきた新1年生がどんな感じだったかはおぼろげに記憶あるけど、すげえアホくさかったような記憶しかないから、別にいいのか。
今だって、息子と遊んでくれた低学年のお兄ちゃんなんかは、社会的な遊びのルールも判っているみたいだったし、大丈夫なのかもしれないけど。
自分がどうだったかは記憶にないし、昔ながらの共同体社会に暮らしてきたわけではなくもろ核家族社会で育ってきたから、自分に子供が生まれるまで「子育て」といったところから隔離されて生きてきたから、どの程度が「いい塩梅」なのかよく判らんのだ。
まあ、別に昔からこんなもんで、社会的なルールのある遊びをするのは小学校に入ってからで十分ならそれでもいいんだけど。
でも、西原理恵子の「毎日かあさん」とか見てても、最近の子は小学校中学年とかになるともう「Nintendo DS」とかに走っちゃうみたいなので、ちょっと心配。
大きくなってこの記事のゲーム専門学校の子みたいに育ってしまうんじゃないかと思うと。
別に、幼稚園とかに責任を押し付ける気はさらさらないんだけど、せっかく多人数が集まる場なのだし、幼稚園の時間外保育(うちの幼稚園は幼保一体なので、課外時間は預かって遊ばせてくれるのです)とかで、いろいろ昔ながらの社会的な遊び(鬼ごっことか、だるまさんが転んだとか)を体験させてやってくれないかなと思う。
今、時間外保育の時間では、「英会話」とか、「お茶、お花」とか、「自由な表現力育成」とか、いろんな体験を子供達にさせようという企画があって、俺ら親もそれなりに賛同してそれに参加させてきたんだけど、なんかそんなのより、まだ今の時期は基本的な社会的遊びの体験の方が大切な気がしてきた。
それは家庭で、とか言っても他の子供がいなければできない経験だし、家庭で週末毎に決まった時間に公園に連れて行って決まった友達と遊ぶ、なんて今や無理な現状なので。
また一度、先生方に相談してみようかなあ。
やれアニメだとかゲーム機だとか、日本の創作力や技術が最高とか言ったところで、子供達にそればっかり与えて自分達で考えて工夫して遊ぶことをさせなければ、そんな創作力や技術はいつか枯渇すると思うのだな。
それこそ、今災害や戦争に巻き込まれて、テレビもゲーム機もおもちゃも何もなくなったら、今の子供達は何か自分で遊びを見つけて、自分達で楽しむということができるんだろうか。
なんかそのうち、息子によく連れて行けとせがまれる「TOKYOドームシティーおもちゃ王国」や、来週遊びに行く「キッザニア」なんかより、昔ながらの遊びを保存し体験できるテーマパークなんかの方が必要になってくるんじゃないだろうか、という気がした。
Excerpt: 人間、特に子供には年齢に応じた「発達段階」というものがある。これは教育の仕方とか世の中の風潮とはあまり関係がなく、単純に脳の生物学的な発達に関連している...
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Tracked: 2007年01月22日 18:31
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・「定義できない」とのたまうものを自説根拠の説明の中で延々と使う不誠実(笑)(むにゅう!)
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