2007年04月02日
アイヌ語翻訳Google云々は無理だ
みたいな記事書きましたが、その後追ってみるとどう考えたって無理ですねこれ。
ザッと調べたところで解ったことは、アイヌ語の翻訳作業自体が困難であるということかな。
上記リンクのブログにあるように、アイヌ語は文字として残っていないので、同一語でも地域差があった場合にそれを同定することのが非常に難しいのだそうだ。
となると、やはり現地採集による広域使用言語の推移を体系化することと特定地域の平準化作業をせねばならなくなる。
わけだが、それはネイティブのアイヌ語を操る人が数少ない現在では非常に難しい、いや、もはや不可能な状況にまでなっている様に思えてしまう。
そもそも、前の記事でも疑問を書きましたが、やはりまだ電子テキストになっていないみたいですし、もしなっていたとしても上の引用のように、そもそも文字の存在しない言語であるために標準語も正書法も存在しない、ある意味を表すのに決まった表現・表記も存在しないような状況では、技術の出る幕はないですね...。
語彙そのものすら、並行して歴史・風俗・考古学調査をしなければ特定できないような状況のようですし。
Googleができるとしても、金銭や人材育成支援くらいしかないでしょう。
しかし、自分の生きている世界・体験の中だけでは推し量れない現実に対して自覚的であれ、と常日頃思っているのですが、そう思っていてすら、先の記事は、一応「テキスト化されてないかも」とか逃げは打ってた感じではありますが、自分の想像できていなかった状況に対して「技術で解決できるじゃん」みたいな切り捨て方してて、恥ずかしい限りです。
しかしこういう現実に出会うと、技術と言うものの限界を感じますね...偉そうに言ったって、人間によって既に記号化されている現実しか扱えないんじゃないか、と。
だいたい文字のない言語とかいったって、言語は元々口語から生まれたんだし、文字が生まれたのはそのずっと後、正書法にいたっては近世からの産物であって、口語の方がよほど人間の本能に近い部分の存在であるにもかかわらず、正書法と言うレベルにまで記号化されている言語でなければ技術では扱えないと言う現状。
そして今この時点で体系化されている言語に関しては、どんどん技術の恩恵を受けることができるにもかかわらず、体系化されていない言語に関しては、技術の恩恵が受けられないと言う現実。
技術でできるとすれば、CGM的アプローチといっても、テキストベースではなく、金成ノートのスキャン画像の一般公開⇒分散作業によるテキスト化、調査資料の共有、分散翻訳作業の場を提供する、くらいでしょうか。
すごい無力感を感じますね。
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・「定義できない」とのたまうものを自説根拠の説明の中で延々と使う不誠実(笑)(むにゅう!)
・絵文字標準化でのキャリア批判に思うこと(kokogiko)
・文化は変わっていくのは当たり前だからこそ、今問われているのはリアルタイムの選択(むにゅう!)
・絵文字標準化でのキャリア批判に思うこと(ひゅ〜)
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・文化は変わっていくのは当たり前だからこそ、今問われているのはリアルタイムの選択(むにゅう!)
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