2007年06月09日
聖ペテルスブルグのパラドックス(ソニーCSLオープンハウスに行って来ました)
ソニーCSLオープンハウスに行って来ました。
展示自体は仕事に押されて最後の1時間くらいしか見られなかったんですが、
- フラクタル構造を持っていて遠くからでも全体がカメラに入らない近くからでも、斜めからでも認識できる2次元コード。
一部だけが写っていてもそれがコード全体のどの一部か、というのも判るので、カメラ上にコードに紐付いたバーチャルリアリティの地物を表示したりと、そういったエンタテイメントな用途に使えそう。 - まさに上記の2次元コードをゲームに応用した、秋発売のPS3用ゲーム「アイオブジャッジメント」のデモ。
フィールド上に配置されたカードをカメラで写すと、モニター上には遊戯王よろしく俯瞰されたクリーチャーの姿が3D表示され、カードを動かしたりぶつけたりすることでクリーチャーを移動させたり向きを変えたり戦わせたりできるというすごいゲーム。
カードを傾けるとそれに合わせて3D画像も傾きを持ったり、画面上で3D画像に当たるよう指でクリーチャーをはじいてやると、そのままそれが攻撃になったり、まさにこれぞインタラクティブな仮想現実?という感じで驚きました。 - 家中のデバイスとデータストレージがネットワークで結びつくようになり、昔のように映像は居間のビデオ&テレビ・音声は個人部屋のコンポと言うような「コンテンツ⇒1つのデバイス」が成り立つ時代ではなくなった中で、「どのコンテンツ」を「どのデバイス」で「どう動作」させるかという3つの設定で家中のデバイスを操作する新しいUI「TripletUI」。
コンテンツを選ぶと自動的にそれを操作可能なデバイスが優先表示されたり、逆にデバイスから特定すると操作可能なコンテンツが優先表示されたり、またWiFi位置情報で同じテレビでも居間にいれば居間の、個人部屋にいれば個人部屋のテレビが優先表示されたり、中々便利なUIに思えました。
またデバイスといっても単に家電だけではなく、おじいちゃんの家のプリンタに子供の写真を送ったり、Flickrみたいなサイトに投稿したりと、いろいろなものがデバイスとして設定されていました。
みたいな面白い展示がいくつもあり、刺激的でした。
もちろん、PlaceEngineも新しい発表があったようなのですが、1時間と時間が限られていたので、ネットワーク上にも新情報は流れていて知っていたこともあり、勝手知ったる?PlaceEngineは会場ではあまり見られませんでした。
PlaceEngineの新機能については、エントリを改めて取り上げます。
後の懇親会も参加しまして、旧知のたたみラボやALPSLAB、CSLインタラクションラボの方々と情報交換したり、新しくサイボウズラボやIMG SRCの方と知り合えたり、ミーハーですが天外伺朗さんや茂木健一郎さんの名刺をゲットできたり、楽しい時間が過ごせました。
で、そのCSLオープンハウスで、一番入り口に近いところでポスター発表されていたのが、こちらの本も書かれている経済物理学者の高安秀樹先生。
私も以前興味を持った聖ペテルスブルグのパラドックスを再考されていて、聖ペテルスブルグでの賞金とその賞金を得る確率の分布が経済界での会社の収益とその収益の会社の存在数の分布に一致すること、また成長産業ではその分布が聖ペテルスブルグで言うところの1回の試行での期待値が1以上、斜陽産業では1以下のようになる事などを示されて、経済活動というものが一種の全体としてギャンブル性を持っていることを示唆されていました。
それは面白かったんですが、でも元々の「何故期待値が無限大なのに、人はいくら賭けてでもこの賭けをしないのか?」という疑問には答えていないような気がしました。
その場では他の展示を見るために時間がなくて尋ねることも議論することもできなかったんですが、私は素人ながら、この問題初めて見た時から期待値で語るのは変な気がしていました。
そりゃ期待値が無限大であるのだから、無限回挑戦することが許されていればいつかは大儲けできるので、掛け金が1万円だろうが1兆円だろうが私もこの賭けに参加すると思う(そもそも、そんな掛け金を無限回投資できる奴が大儲けしたいかどうかは別として)。
でも実際には、人の持っている資産は限られているのだから、掛け金次第で挑戦できる回数も限られてくる。
回数が限られるだけでなく、掛け金が全資産のどの位の割合かによって、もし外れた場合のことを考えると、そのインパクトも異なってくる(100円だったら割と気軽に出せるけど、1万円だったら考えるし、100万円をおいそれと出せる人はいないよね)、これが第1の問題。
そして、いくら期待値が無限大といっても、そんな天文学的な額を儲けるとかいう前に、結局のところ投資額を1円でも上回るか、元が取れるか否かという、もっと単純でデジタルな指標が賭けには存在するのではないかという問題。
特に元が取れるかという方は重要で、仮に掛け金を1000円として、元手を上回った段階で挑戦をやめると考えた場合、1回目の挑戦で元手を上回ろうと思うと、1024円以上稼がないといけないのだから、その確率はたったの1024分の1しかない。
もし1024分の1023の確率で1回目は元が取れなかった場合、2回目の挑戦では1回目の損分も合わせ2048円以上稼がないといけないのだから(1回目で元手未満の1024円未満を稼いでいる可能性はあるので正確ではないが、簡単のためこうしておく)、その確率は2048分の1となり、また負けたらその次は4096円以上で4096分の1、と負けが込むほど次で元手を取り返せる可能性は低くなっていく。
無論先に書いたように期待値が無限大である以上無限回投資可能ならどこかで絶対チャラ以上にはなるはず(たとえそれに何億回、何兆回かかるとしても)だけど、実際は有限回しか挑戦できない以上、掛け金が上がるほど元手を取り返せる確率も低くなるし、挑戦できる回数も低くなり、2重のバイアスでそんな賭けに参加しようという気は起こらなくなる。
数式とかは苦手なので数学的に説明しろとか言われると困ってしまうけれども、単純に上のような理由で聖ペテルスブルグのパラドックスは起こっているだけだと思うんだけどなあ。
とかいう事をずいぶん前から思ってたんだけど、今聖ペテルスブルグのパラドックスの説明のために引いたリンク先の説明を見ると、数式が十分理解出来ていないので違うかもしれないけど、同じような事を書いているんじゃないかと思った...。
Excerpt: gコンテンツワールドのシームレス測位ネタに感化されて、今考え得る位置情...
Weblog: ここギコ!
Tracked: 2008年10月14日 14:41
この問題は、「胴元に無限の支払い準備があり、賭けをする人が無限の寿命をもつなら期待値は無限大」 である、というのがミソです。たとえば胴元が1億円までしか払えないとしますと、27回で胴元の破産によりこのゲームは打ち切りとなりますね。その前提で期待値を計算してみると、たったの27円にしかなりません。
詳しくは↓の野崎先生のコメントをどうぞ。
http://earth.endless.ne.jp/users/nkhrsen/Sen/Mathematics/misterious_gamble/nozaki_coment.htm
なるほど、「期待値無限」にはそういうカラクリがあったんですね。
確かに、胴元も無限の支払い能力あるはずないので、期待値も有限になるのは当然ですよね。
でも、そのカラクリに気付いておらず「期待値無限」と理解していても(実際私が今教えていただくまで気付かなかった)、この賭けを1万円、100万円支払ってやろうというような人はまずいないわけで、それは何でかと言えば、やっぱり「期待値」という効用側の問題ではなく、どれだけ投資できるか、投資の資産に対するインパクト、といった資産側の問題じゃないかなと思うのです。
そして、今既に1億円頭打ちだと期待値は27円、と聞いた後でも、それでもコインを27回連続裏を出すだけで1億円もらえるなら、掛け金100円、200円くらいなら懐もそれほど痛まないし、1回くらいなら参加してもいいかな、と考えるような心理は誰もが持つんじゃないかと思います。
まさに宝くじなんか、あれほど分の悪いギャンブルはないわけですが、多数の人が群がるのはそういう心理からではないでしょうか。
それを考えても、賭けに参加する、しないは単純に期待値の効用側の問題だけではなく、資産に対する投資のインパクト、という視点も大きい気がします。
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