2007年08月05日
ネットは所詮道具の1つに過ぎない
高校生に重要なのは速度だと話したが理解してもらえなかった -ノッフ!-
「昔の大人には威厳があった」のは、みんなが無知だったからなんだ -狐の王国-
ネットで情報の伝達・収集が速くなったのは確かに進化なのだが、なんでそれをもって多くの人が全能感のように感じてしまっているんだろう。
私自身、ネットでの情報収集に頼りきっているし、ケータイの位置情報にのめり込んだのも「今いる場所がGPSで判るのに、その場所の情報を調べるのに住所をどうにかして得たうえでGoogle検索しないといけない、そんなまどろっこしい現実を何とかしたかった」からだし、OpenIDなんかに手を出していたのも、「あっちこっちのサイトやSNSでいちいち別個にアイデンティティ管理しないといけない状況を改善したい、ネット横断的なDRY(Don't Repeat Yourself)を実現したかった」からだし、ネット上で情報を得ることの最適化、最速化の必要性は痛いほど身に染みている。
しかし、ネットは所詮道具でしかない。
世の中にいろいろ存在する中で、今現在もっとも先鋭的で革命的だが、しかし単なる道具の一つでしかない。
「既にネットはリアルだ」それは間違いなくその通りなのだが、その「リアル」は「本当のリアルのほんの一部の切れ端」でしかない。
ネットはその「リアルの一部」、ネットの上に一応存在している事が判っている、或いはもしかしたら存在するかもしれない情報を最速で入手するための道具でしかない。
世の中の全てがネット上に存在する等と思うのは大間違いだ。
例えば「TCP/IP」ならネット上で即効で調べられるのだろうが、
- ハードディスクの表面に気体レーザを使って髪の毛より微細な表面加工を安定して行うために、もっとも安定させなければいけない周辺環境ファクターは何か
- 製紙工場の圧延ロールで、もっとも損耗率が低くなるような成分含有率はどのようになるのか
- 地球上で発生する磁気嵐は、地球周辺環境のどのようなファクター変化によってトリガされ、またその嵐発生タイミングはファクターのトリガがかかってからおよそ何分後か
といったことをネットで調べられるだろうか。
しかし、どれ1つ取ってもそういったノウハウがなければ社会が回らない情報であるし、そうしてそういったノウハウを用いないと業務が回らない業界の人達は、それは業界の人脈であったり技能の継承であったり学会の論文検索であったりするわけだが、ネット等使わなくても、そういう必要な情報に到達するためのチャネルは確保している。
実際一つ前のエントリにも書いたようロケット技術者のように、ネットやPCを使いこなせなくても自分の業務遂行に必要な情報チャネルは確保している故に優秀な第一人技術者として活躍している連中は多い。
正直、俺の同期で話すなら、同期の中でまず一番に、圧倒的に俺がPCや検索を使いこなせるだろうが、恥ずかしい話稼いでいる額で話すならまず99%俺が一番年収が低いだろう。
別に現実世界では、ネットで物を調べられる能力なんてのは、同じ業種内で隣のライバルとどう差をつけるか、といった低レベルな話ならばそれなりに有効だろうが、社会全体からみればそれほど優位を得られるわけでもなんでもない。
それどころか、ネットで調べられるレベルの情報なんてのは、それだけである意味コモディティ化しているので、はっきり言ってそこでは他者に勝つ優位性なんて生み出せないし、その「コモディティ化していく元情報」を発信源として生み出す力のある連中の草刈場とされてしまうだけだろう。
本当に必要な力とは、別にネット上で検索できる情報を最速で引き出してくるような能力ではなくて、自分に必要な情報を最速でなくてもよいから確実に引き出してくるチャネルを確保することであって、ネットなどそのうちのOne of themでしかない。
情報だけでなくネット上の議論についても、私も過去、もう10年以上前、ネット上で某社会問題について、賛成派反対派集めて1年以上かけて議論し、議論の前提となる事実の裏付け、デマの洗い出し等を徹底的に行ったことがあるが、それから10年以上経つ今でも、その議論の結果は全く継承されていないし、いまだにデマと判っている情報が平気でたれ流され、それを前提に議論が進んだりしてる(まあ、私がサーバの移転時に「復旧が面倒くさい」というだけの理由でその議論結果のまとめサイトを閉鎖してしまったせい等もあるのだろうが...)。
そういう経験を持つ立場から見ると、ネット上の議論は別に大した蓄積などなく、単に何度も同じところを堂々巡りしているだけのように見えるし、その点では参加人数と回転速度が速くなっただけで、人類のこれまでの議論の歴史と何ら大差ないようにも思える。
それに何万人何十万人と議論できようと、前提がはっきりしないような議論では現実を知っているものとアクセスできなければ何の意味もない。
下関砲撃事件前夜英国留学して現実を見てきた伊藤博文と井上馨が、いくら攘夷の無謀を説いても誰も耳を貸さず大失敗したように、現実を知る者の意見に誰も耳を貸さないような空気ができていれば、何の意味もない(その2人ですら、英国留学前はガチガチの攘夷論者であったことを考えれば、現実に接する事の大切さが判る)。
現実を知りもしない人間何万人と延々と議論するくらいならば、現実を知る一人とじっくり議論する方が実りのあることはいくらでもあるだろう。
もちろん、ネットというメディアのおかげで、その「1人」を尋ねることなく、家に居ながらにして繋がれるようになった、という利点もあるだろうが、何万何十万のノイズの中からその1つ、下手をすれば何万何十万から叩き潰されかねないその1つを見抜くのは至難の業であるし、接する側の情報取捨選択の力量が問われることにもなる。
その意味でも、ネットが使えることで全能感など感じることなく、ネットは所詮数ある道具の中の1つ、程度に捉えておいた方がいいように思う。
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