2007年10月10日
今の親は先生に多くを求めすぎだし、子供を無菌状態に置こうとしすぎ
もう数ヶ月前くらいのことになるけど。
幼稚園の保護者会に出ていると、同じクラスの保護者から動議が挙がった。
なんでも、クラスの部屋の真ん中に、人糞が落ちていた、ということが複数回あったと言う。
子供を預けている場でのそのような衛生上の問題に対し、再発防止の策はとったのか、犯人の子を突き詰めてそのような反社会的行動を取らないようにという徹底的な指導はしたのか、反社会的だということを理解させるには陰で叱らず他の子供の前ででもちゃんと叱らないとダメだろう、といったようなことを、先生をつるし上げるような形で問い詰めていた。
俺個人的な感覚では、部屋の真ん中に人糞が落ちていたといったって、自分がそれを見れば「おえっ」とは思うだろうけど、それ以上の感覚は感じない。
まだ幼稚園だろ?別に奇行をする子なんてなんぼでもいるだろよ、と思う。
俺が子供の頃なんか、クラスに1、2人、学年に10人くらいはなんか普通じゃない行動とる奴が普通にいた。
俺のこめかみには、小学のころにそういう奴に鉛筆を突き刺された後が今も残ってるし(その原因は、俺がそいつの変なところを過度におちょくったせいだ)、中学になってすら、校舎の4階から下に人がいるのに消火器を落とすような謎の行動を素でとる奴だっていた。
素で奇行をするような子でなくても、障害や発達の遅れなんかで、個人の意思に反して奇行をしてしまう子だってこの歳だといるだろう。
別に、そういういろんな子がいる中で、子供もいろんな状況への対処法を学んでいくもんじゃないの?と思いながら、その動議を聞いてたんだけど。
案の定、先生が涙ぐみながら事情を教えてくれたところによると、一人排泄障害を患っている園児がおり、成長してきたこともあってずいぶん普通に暮らせるようになってきているのだけど、ちょっとしたパニックなんかで思わず漏らしてしまうようなことはまだ残っていて、今回のケースもその子が思わず漏らしてしまった物だったらしい。
子供の自尊心の問題もあるからどの子というのは言えないけれど、先生とその子とご家族とで頑張っているので、理解して欲しいという回答。
さすがに子供を叱ったのか云々の方向の追及はそれで立ち消えたのだけど、今度は続いて事後処理の追及。
大便を処理した後の消毒はちゃんとやったのか、もしかしたら処理が完了するまでに上靴で踏んでしまった子だっているかもしれない、各子供の靴の裏とかまでちゃんとチェックして綺麗にしたのか、等とまた先生つるし上げ。
いわく、そのような衛生面の危機管理がきちんとできない園では、安心して子供を預けられないとかなんとか。
正直、すげえあほくさい。
もちろん、先生がそういうところまで気がつくに越したことはないが、ウンコを踏んでしまった靴を大人に面倒を見てもらわないと綺麗にできないような子供と言うのもどうなのよと。
あんたらは路上でウンコを踏んでしまった時に、草むらとかでこすって綺麗にする方法を、親や先生に教えてもらったのか?と。
ずいぶん子供を馬鹿にしてるんじゃないかと思う。
また別にそれで多少ブツが残ったところで、重篤な感染症を持っている子のブツとかならともかく、それで人が死ぬこととかありえないだろ?実際。
それを園をつるし上げて、衛生的でないから預けられないとか、どうなのよと思う。
何もかも大人の先生方にお膳立てしてもらって何のハプニングもない無菌状態の空間で育つより、排泄がうまく出来ない子もいる、という前提の元で、そういう子もいるという事を理解してうまく付き合って行く方法を学ぶことの方が、よっぽど重要な教育だと思うのだけど。
そのウンコ騒動が終わったと思えば、また次の動議が。
なんと、女の子のトイレを除く男の子がいて、女の子が非常に嫌がっているという。
正直、それを聞いた時の俺の反応は、「みそ汁噴いた」という感覚だった。
おーおー、ほんのちょっと前までオムツつけてた連中が、そんなとこまで生意気な糞ガキに育ったか、みたいな。
でもそれも先生吊るし上げで、ちゃんと問題を把握しているのか、その子を叱ったのか、再発防止策は、みたいなコンボ攻撃。
あえて書くと、異性に興味を持って覗くとか、ある意味子供の正常な発達過程なわけですよ。
子供って好奇心の塊なわけなので、自分と違うものに対する興味を持って知りたいと思うってのはむしろ喜ぶべき成長だったりするわけじゃないですか。
でも当然、そのような好奇心の行動は、一方で他人の嫌がること等を犯してまで追求してはいけない事、というのは学ばないといけない。
なので注意するのは当たり前なんだけど、でもそれって園という先生と幼児達で構成される社会の中で解決されることであって、親が出てくる必要はないだろう?と思うんですよ。
俺らの子供の頃だってスカート捲りとかいろいろあったけど、普通は子供の間で解決してたし、或いはホームルームとかで取り上げるとか、或いは先生にアホかとゲンコツくらって終わりとか、そのレベルのもんだと思うんですよ。
いや、まだ被害にあった女の子の親が、うちの娘が嫌だといっているのにやめてくれないので、先生もう少し強く言ってくれませんか、とかの要請なら判るんですが、動議かけたの男児の親で、やれ再発防止策は、とか園の認識は、とかのノリですからね。
実際先生も大変ですよ。
昔ならこの位の問題なら、ゲンコツ一つで済んだ話が、今は体罰は一切禁止、にも関わらず起きた問題の再発防止徹底はがんがんクレーム挙がってくるわけですから。
幸い今回の問題はうちのバカ息子は加害者じゃなかったし、また幸いこれまで私はシッペ以上の体罰を息子に加えずに済んできましたが、もしこの犯人がうちの子なら、まずゲンコツ一発、道理説いてこの後は絶対するな、もしもう一遍したら今度はゲンコツじゃ済まんぞ、くらい叱った後で、でもお前もいっちょまえに生意気にませてきたな、みたいな感じでにやっと笑ってそれで終わりじゃないかと思います。
子供との付き合いなんて、そんなもんでしょ?と思います。
命に関わるような問題ならともかく、どんな問題でも徹底排除して誰もが普通で誰もが傷つかない(一方で排泄障害のような普通じゃない子は隠蔽されてしまって傷つく)ハプニングのない無菌状態の園生活で、本当にいいの?生きていく術を学べるの?と思います。
園の中は無菌室でも、一歩外に出れば悪意や不条理は社会に渦巻いているわけです。
そういうのに少しでも耐性をつけるためにも、子供たち同士の違いや諍い、好意や悪意、ハプニングから、いろいろ学べることがあると思うのですが。
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追記:
新任女教師が自殺、という痛ましい事件と同時期に挙げた記事だったために、うちの保護者さん達もなんかその記事で女教師を自殺に追い込んだようなモンスターペアレンツのような受け取られ方をしてしまったようですけど(併せて読みたいとか書かれてしまって)、さすがにそんな酷い事例とは思えないです。
子供の育つ環境の理想について、ちょっと考え方が違うなあと思ったのでどうよ、と記事に挙げてみたわけですが、記事に書いたようなケース以外は保護者会と先生方との関係も極めて良好ですし、なにか園行事があるとなれば率先して保護者が協力したりして、極めていい感じの園生活が送れています。
むしろその意味では、文系のノリのいい保護者方が多い中で、父母揃って非コミュ系のうちの家庭の方が、園行事なんかの協力も腰が引け気味でダメじゃんみたいな感じなので。
というか、よく言われるモンスターペアレンツって、
- 給食費踏み倒す
- 自分の子供だけ特別扱いしろとか要求する
- 自分の子供とそりの合わない他の子を転校させろとか言い出す
とかっていうような、各家庭と学校・園は対等の契約であるにもかかわらず、自分の子・家庭だけ特別扱いしろと言うような勝手な「私」の範囲での要求をしてくるような親の事、という認識を私はしています。
今回私の記事で取り上げたような親御さんは、私とは考え方が違うのでどうよと記事書いたわけですけど、でも別に自分の子供だけ、と主張しているわけではなく、広く園全体の環境としてこうあるべき、という「公」の範囲の要求であるわけで、その意味では政治で言うところの「大きい政府」が正しいのか「小さい政府」が正しいのかという話と同様で、どっちが正しいというもんでも悪というもんでもなく、別に主張すること自体はなんら問題がないように思います(その主張と違う考え方をする者からは、なんだかなあ、と思うだけで)。
もしかすると私の方が間違っているのかもしれませんし。
また、その意味で言うと、件の新任女教師の自殺のケースすら、報道で得ている情報の限りですが、「子どものけんかで授業がつぶれているが心配」「下校時間が守られていない」なんていうレベルのクレームなら、別にモンスターペアレンツというレベルでもなく、十分に想定される範囲内のクレームだと思います。
言い方や書き方に問題があったのかもしれませんし、「結婚や子育てをしていないので経験が乏しいのでは」みたいな人格攻撃はどうかと思いますが。
むしろ問題は、クレームとしては想定範囲の当たり前のことであっても、それをクレーム処理経験もない新任教師に、バックアップ体制も相談する先輩もない状況で任せたという、学校側の不手際だと思うのですが。
報道などで知る限りですが、モンスターペアレンツというようなのが増えて学校や園の負荷は上がっているようではあるんですけども、それでも
- 公の立場を考えず、私よかれの要求を挙げてくる親
と、
- ちょっと過保護気味の要求ではあるけれど、公の範囲内での要求を挙げてくる親
は分けて考えないといけないと思います。
前者は本当に単なる困ったチャンですが、後者は教育に求めるものの範囲が違うと言うだけで、教育と言う物を支えていこうと言う意味では意識のある親ではあるわけなので、学校や園としても当然想定できる範囲内のリスクとして対処を考えておくべきですし、またそう言った親御さんのパワーを、学校と保護者の協力としてうまい方向に誘導する必要もあるのではないかと思います。
うちの園では、後者気味の人はいますが、さすがに前者の人は皆無ですし、それなりにうまくやれています。
Excerpt: ここギコ!: 今の親は先生に多くを求めすぎだし、子供を無菌状態に置こうとしすぎ ...
Weblog: gekka blog
Tracked: 2007年10月11日 14:43
おおむね同意。ただし
> でもお前もいっちょまえに生意気にませてきたな、みたいな感じでにやっと笑ってそれで終わりじゃないかと思います。
それは蛇足。幼稚園児に通じるノリじゃない。
いい事といけない事をまず教える段階なので、そういうフォローは逆に混乱しますよね。
十人十色、多様性の理解、常識とは自分にしか通用しない。そういう事を踏まえた上で、周りを許容し、理解する事が、これから更に求められるはずなのに、全く逆行していると感じます。
Posted by: 禿同 at 2007年10月11日 14:44 同意です。幼稚園ならどうだかまだわかりませんが、小学校だと親が出てきた時点でアウトですよね。友達に嫌われます。
子供の問題は子供同士で解決する。親は気がついてないふりをして黙っている。どうしても親が出て行かなければならない境目を見極めるのって、普段から子供を信頼し、かつしっかりと子供の様子を観察していないとできない。手を出しすぎるのは一見子供のことをよく考えているようで、実は自分の思いでしか動いていない、楽ちんな方法ですね。
と放言しつつ、じっと手を見る。
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