2007年12月21日
成功の軸としての笑いと嗤い
先の記事で「個人的には成功失敗の軸に「努力」や「スキル」、「運」とかならともかく「笑い」を持ってくるところに、個人的にはより強い苛立ちを感じよりツッコミたいのだが」と書いた件について。
弾さんの元記事は、先の記事に書いたとおり今社会で起こっている事象をマクロで見た場合の、根本療法には全くなっていないことは先に書いたとおりだが、個々の局面の対症療法としては、一面を捉えているところは確かにある。
その対症療法で救われるレベルの人への対症療法としては、全く意味が無いわけではない。
問題なのは、その対症療法としてすら、あいまいで効力のほどがよく判らないレベルの話でしかないことだ。
喩えていうならば、ガンで苦しんでいる人に対して、ガンの完治を目指すのではなく「痛みをとるという」対症療法を検討するのはそれでそれでありなのだが、弾さんの記事はその対症療法のために「モルヒネを投与する」とかってレベルでもなくて、「痛みってのは、痛い痛いと思って気にしすぎるとよけい意識に上がるんですよ、あまり気にしないよう別の事を考えなさい」とかってアドバイス、程度のものでしかない。
そもそも、「笑い」「嗤い」と書いているが、それをどう解釈すればいいのかさっぱり判らない。
著者はWebを、「自らが笑う」場ではなく「他者を嗤う」場所として活用してしまったのだ。右を嗤い、左を嗤い....しかし嗤いは金にならない。
確かに赤木さんは政治的な主張をWebで展開してこられたようだが、それがどう「嗤い」と繋がるのか(もっとも、稚拙な政治的主張をする連中には、嗤う連中が多いのは了解。ネサヨ、ネウヨ、ネットイナゴとか)。
「政治的」であれば、「ビジネス」と結びついていなければ、それは「嗤い」なのか。なんたる見識の薄さ。
とはいえ、実際に赤木さんがどんな主張をしてどんな活動をしてきたのか、私はそれほど遡って追えない。
そこで、弾さんの書く
なぜ同じ団塊ジュニアでも、あるものは団塊の世代ではありえなかった富と権力を手にし、あるものはワーキングプアとして呻吟しているのか。
それが何か、やっとわかった。
笑い、だ。
という軸で見ると、弾さんの1万分の1程度の資産しか持たず、ゆえにその分笑ってこなかったはずの私がどのようなことをやってきたかについて、振り返ってみよう。
弾さんがあいまいなまま使っている、「笑い」「嗤い」という言葉を、普通に感じるままに受け取った上で。
本書によると、著者は1995年にはすでにHTMLで発言していたそうである。これは私が「流しのプログラマー/技術翻訳者」から「流しのネットワークエンジニア」に舵を切った年でもある。先行者利益にありつく機会が、著者の鼻先にあったのである。
私もHTMLを初めて書いたのは1995年だ。
その年、何があったか?阪神大震災だ。
私は、実家の姫路も被災地の神戸に程近く、また関西の大学に行っていたこともあり、当然のごとく現地にボランティアに入り、常駐ではないが2年近く関わった。
その時、被災地現地で見たものが、笑いだった。
天災でどん底の生活に落ちたにも関わらず、明るく笑う被災者の人たち、また笑っていなかった人たちも、いろいろ持つ物を持ち寄って助け合いコミュニティが戻っていくうち、笑うようになり始めた。
この被災地の状況、そして笑いを各地に伝えるべく、それぞれの人間がそれぞれの立場で自分のできる手段を生かした活動をした。
マンガを描けるものは、マンガを描いた(1巻、2巻。ちなみに私も、チョイ役ながら、このマンガの中に2巻共に登場している)。
そして、HTMLを書ける者は、HTMLを書いた...震災被災地の状況を伝えるWebサイト、それが私の作った最初のWebサイトだった。
そうして作成したHTMLに、仲間達は笑顔で答えてくれ、報われた。
まさに、HTMLに先に接したという先行者利益を、私は弾さんの言う「笑い」を流通させ、そして「笑い」を受け取るために駆使してきた。
その次に作ったサイトは、戦災と貧困のために学校に行く機会を得られず、そのために老人になっても文盲のままだったお婆さん(主に在日一世が中心だった)に、文字を教えるための識字学校のWebサイトだった。
お婆さん達は、字が読めないことや、歳とっても働かないといけないことでいろいろ苦労しながらも、日々明るく笑いながら、歌ったり、踊ったりしていた。
その笑いを世に伝えるために、私は先行者利益をつぎ込んだ。
さらに次に作ったサイトは、慰安婦問題について討論する会議室サイトだった。
当時、慰安婦論争は、右派も左派も、まさに相手を馬鹿にしこき下ろすそれこそ「嗤い」に満ちた世界だった。
そこで私が作ったサイトは、右派も左派も、「証拠も根拠もないけど信じたいから信じている」といった次元での論争を廃し、右派であろうと左派であろうと「ここまでは笑って認められる」という事実を徹底的に洗い出し、そこからみんなが笑える、それこそ慰安婦のお婆さん達まで含めて笑えるようななんらかの合意を引き出そうというコンセプトで運営した。
嗤い、嘲笑で議論を乱そうとする輩は徹底して排除して、皆が冷静に笑って受け止められるサイト運営を試みた結果、私自身はどちらかというと立場的に左派だったが、どちらかというと右派の論客ですら、仲良くなりいまだにある程度交流させてもらっているような人もいたりする。
以上のように、私は弾さんと同じ1995年から、Webに接していた先行者利益を、弾さんのいう成功の元である笑いのために、ふんだんにつぎ込んできた。
なのになぜ、弾さんの言う「団塊の世代ではありえなかった富と権力」を手にできていないのだろう?
念の為に書いておくと、別に私は上のようなことをしてきたから報われたいと思っているわけではない、報われないのは承知でやってきたので別に全然構わないのだが、弾さんの「笑いで成功する」という主張の反例のために列挙しただけだ。
私の「笑い」の解釈に無理がありますか?
解釈がおかしい、というのならば、そんな普通に解釈できない次元の文章を書く時点で、弾さんの主張には大きな瑕疵がある。
もし解釈に問題がないのならば、上記のように簡単に反例を挙げられてしまう時点で、やはり弾さんの思考には大きな瑕疵がある。
「嗤い」に関する反例も然り。
弾さんの割と近しい周りを見るだけでも、例えば一部伏字で書くとt○kuhir○m某とその周辺とか、他人を嗤うことを趣味として嗜んでおられる高尚なお方がおられたりするわけですが、t○kuhir○m某と私との1対1ならよく判りませんが、明らかに「その界隈」は私よりはるかに羽振りがよく潤っておられるように思うのですが、これはどういうことなのでしょう?
人を嗤うと底辺に落ちるならば、あの界隈の連中はとっくに「バカでアホ、低脳でワーキングプア」になっていてもおかしくないように思うのですが...。
もちろん、弾さんの感覚則を否定しておきながら自分も感覚則を提示して申し訳ないのですが、確かに笑いが、同レベルにある集団の中で一歩先に行くためのブレークスルーになることは、十分にあると思えます。
年収2000万円と年収3000万円の違い、年収300万と年収350万の違い、時給800円と時給820円の違いは、確かにより多く笑った人が後者を勝ち取る可能性は十分にあると思えます。
しかし残念ながら、時給800円が年収300万、年収300万が年収2000万というようなブレークスルーにおいては、上記反例に示したとおり、笑いは重要なファクターでは絶対にあり得ない。
弾さんが団塊の世代ではありえなかった富と権力を得た理由は、もちろん実力と努力もあり、そして笑いもあるでしょうが、決定的なのはWebの技術を先行者利益として獲得した時に、それを金に換算してくれる人が周囲にいた事だと思います。
弾さんが1995年当時どこにいたのかは知りませんが、おそらく産業界の中心である東京に居て、インターネットという新しいメディアへの進出に金を出してくれるクライアントがふんだんに居たのでしょう。
私のいた関西、京都で、私が交流があった界隈では、インターネットでWebとかいっても、1995年当時その価値を理解しお金を出す人はいませんでした。
むしろ、震災ボランティアにかかわり、持てる者は自分の出せる物を提供して助け合う、という形からまずWebに関わったので、Webとはボランティアで引き受けて代償に笑顔をもらう、程度の意識しか持てませんでした。
「笑い」とかなんとかそんな訳のわからんもんより、Webという先行者利益に接したときの環境の違いが、やはり一番大きいと思います。
地方と東京でのネットに対する意識の差は、別の私の経験からも例示することができます。
2001年、既にケータイ各社がケータイでのインターネット接続サービスを開始していた時期(つまり「iモード事件以降」)である事から考えて、東京では明らかにインターネットのビジネス的な価値を正確に認識していた頃だと思いますが、当時、私は某1部上場企業の工場に勤務していました。
周りがあまりにネットに対して「怖い」といった恐怖感を持っているので、組合が毎年開催しており若手社員が強制参加させられる「組合員青少年の主張」のような弁論大会で、自分の上記したようなサイト運営を通じてのWebの、ネットワークの価値を訴えた主張をしたところ、あれよあれよと勝ち上がり、工場内優勝、社内優勝、組合連合大阪府ブロック優勝、組合連合近畿ブロック準優勝まで行きました。
いくら「組合」側のイベントとはいえ、それなりの先端大企業が集まる組織の近畿ブロック全体で、たかだかその辺にあるWebサイトの効用を謳っただけの弁論が、高順位を掻っ攫ってしまう、その位の温度差が東京と地方ではありました。
それでも、私は一応関西大都市圏に暮らしていたので、まだ今の立場でいられましたが、もし赤木さんのように北関東の片田舎に住んでいたら、赤木さんと同じ境遇になっていたかもしれません。
また、逆に95年当時からもし私が東京に居たならば、もちろん基礎スペックの差があるので今の弾さんと同じレベルは稼げていないでしょうが、それでも今のように1万倍もの資産差はついていなかっただろうと思います。
つまり、弾さんと私、赤木さんの境遇を分けたものは、「実力」「努力」「運」「境遇」等いろいろなファクターの総合であろうとは思いますが、断じて「笑い」は重要なファクターではありません。
にもかかわらず、人間の根源的感情である「笑い」こそ成功のファクター、等と論ずるのは、「笑い」に対する最高の冒涜であるように感じます。
----- 以下、私信。伝わる人にだけ伝わればおk -----
まあ、本当に笑いは大切だと思うし、みんなニコニコできてればそれに越した事はない。
そして、みんなでニコニコするためには、時には大人の嘘というか、上手にだます事も大切だと思う。
でも、それならそれで、途中で舞台裏が見えるような事がないよう、最後まで上手にだましてくれないか。
気持ちよく笑ってさよならしたその後で、関係ない他人まで巻き込んで激怒しないといけなくなるようなだまし方はやめてくれ。
ましてや、それを過ぎてすら普通に挨拶する人間には、笑って挨拶し返すのが礼儀だと思うぞ。
笑いを論じんとする人は、その位の事はちゃんとしてくれ。
ここギコさんが関西でやられていたことを初めて
知って驚いております。それはおいといて、、。
弾さんの言う”嗤うこと”というのは
「プレイヤーにもならずに世界と距離をとって、他者や世界の現象、そして自分自身を批評することだけで終わってしまっている状態」
そして、”笑うこと”というのは(少し飛躍しますが)
「プレイヤーとして世界の中に入り込んで、行動を起こし、さらにそれを(成功するかどうかや、楽か楽じゃないかは別として)楽しもうとしている状態」
であり、「わっはっははは」と本当の意味での笑いとは区別する必要があるのでは、、(これらを”わらい”で表現するのはあんまり適切じゃない気もしますが、対比のために両方わらいという言葉を使ったのだと思いますし、共感はします。)
以下私が理解したことを整理すると
・富を築くために、”笑う”ことは必要条件だけれども十分条件ではない。富を築けるかどうかはその笑う方向性が経済的なものであることや運と実力も必要
・”嗤ってないで”今すぐ”笑え”コノヤロー!と叱ってくれる人が近くにいない境遇の人が多く、気付かずに”嗤い”続けてしまう。
・時代的にネットコミュニティやマスコミなど何かを”嗤っている”情報が多く氾濫し、”嗤い”方は学べるが、”笑い”を学ぶ機会は相対的に少ない。
・”嗤う”ためのインフラと嗤いを表現する場が異常に整っている。また、弱者を慰めるマスコミも異常に整っており、嗤うことが誇らしいと思える世界が今ある。
・何といっても”笑う”より、世界のニュース、政治、そして自分の境遇のを"嗤っている"方が楽だし責任を問われないのでいまさら泥臭く”笑い”方向に舵を切れない
・”嗤い”の仲間は多いが、”笑い”の仲間に会える率が低いため、友人と嗤い合っているだけで10年くらい過ごせてしまう罠がある(そしてまた自分の不幸な境遇を嗤うという”嗤いスパイラル”に陥る)
・・・つまり
”嗤う笑う論争”と、
”富をどうやって築き、ワーキングプアから脱出させるか、そのための構造を作るか”
の話は一部関係はあるけれども、本質的には別の話と思います。
”嗤い”を捨てて、”笑う”ための努力をしたいと思います。
Posted by: kgkk at 2007年12月23日 23:12kgkkさんこんばんは。
投稿いただいた時期がサーバ移転作業中と重なったので、移転後にこちらで新サーバに代理投稿したため、投稿時刻が変わってしまってますがすみません。
実際は13:57の投稿でした。
さて、そのペンネームを使われているという事は、もしかして知己の方ですかね。
でしたら、一度酒でも飲みながら深く話してみたいものです。
「kgkkさんの書き様ならば」全く同意なのですよ。
全くその通りだと思うし、かと言ってワーキングプアの問題とは軸が直交しているので、別問題として同意できますから。
それは了解したその上で、あえて書かれた内容を多少なりとも「弾さん記事擁護」と受け取って反論してみますと、
> 弾さんの言う”嗤うこと”というのは
「プレイヤーにもならずに世界と距離をとって、他者や世界の現象、そして自分自身を批評することだけで終わってしまっている状態」
> そして、”笑うこと”というのは(少し飛躍しますが)
「プレイヤーとして世界の中に入り込んで、行動を起こし、さらにそれを(成功するかどうかや、楽か楽じゃないかは別として)楽しもうとしている状態」
> であり、「わっはっははは」と本当の意味での笑いとは区別する必要があるのでは、、
では、例えばフリーター労組なんかが「まさにプレーヤーとして」グッドウィルに不明瞭なデータ装備費の撤廃を働きかけ、実際に何十億というデータ装備費の返還を勝ち取ったような動きは、「笑い」でしょうか、「嗤い」でしょうか。
「笑い」に間違いないと思うのですが。
プレーヤーという立場が判り易いのでグッドウィルの例をだしましたけれど、阪神大震災や識字教室での笑いもそれと同様に、別に今日あったM-1グランプリを見てヘラヘラ笑うのとは訳が違って(サーセン今日はヘラヘラ笑いましたm(__)m)、まさに苦境の中を生き抜く当事者として、或いはそれを支援する者として、プレーヤーとして闘い、あるがままの生を勝ち取った上での笑いです。
弾さんの「笑い」「嗤い」をそのまま受けるために「笑い」とのみ示しましたが、まさにkgkkさんの指摘する「プレイヤーとして世界の中に入り込んで、行動を起こし」た結果としての笑いに間違いないのですが。
それに、プレーヤーというのはどこまでが含まれるのでしょうか。
一人の人間は世の中の全ての事に関わる事はできませんが、何らかの活動があるとして、それに完全コミットして関わる事だけがプレーヤーなのでしょうか。
私はそうは思いません。
私も時間のあった学生時代はいろいろあちこち首を突っ込んで実際にプレーヤーとして活動してきましたが、今は自分の生活を成り立たせるので結構いっぱいいっぱい、でも割ける時間が少しでもできれば、関心を持っている在日問題やワーキングプア問題について、世にはびこる誤解やステレオタイプを解きほぐす一助に少しでもなれば、と思って、いろいろブログのエントリを書いたりしています。
こうする事で、たった一人でも見方が変わって「ニコニコ」してくれるようになればいいなと思っていますし、自分ではこれでも立派な「プレーヤー」の一人のつもりです。
その意味では、政治的な論説や記事を書いたりするのも、他人を嘲笑したり非建設的な議論のための議論、というものでなければ、「プレイヤーにもならずに世界と距離をとって、他者や世界の現象、そして自分自身を批評することだけで終わってしまっている状態」等ではなく立派にプレーヤーとして関わっている状態だと私は信じます。
そして、赤木さんも「立派なプレーヤー」であり続けてきたと思います。
弾さんの元記事が許せないのは、いみじくもkgkkさんが書かれたとおり、
> ・富を築くために、”笑う”ことは必要条件だけれども十分条件ではない。富を築けるかどうかはその笑う方向性が経済的なものであることや運と実力も必要
そう、富を得るためには「笑う方向性が経済的なもの」である必要があって、逆に言えば「経済的でない笑い」もあり、それはそれで人を充足させるものであるはずです。
そして人がどのような「笑い」で自分を充足させるかは多様性があってよいはずで、「経済的なもの以外の笑い」を選択したところで、それによって生命が脅かされるような事はないのが理想なのではないでしょうか。
にも関わらず、弾さんは「笑いによって富を得る」と定義してしまった事により、結果的に「経済的なモノ以外の笑い」を否定してしまい、かつ「(経済的な)笑いをしなかったのだから底辺であえいでいる」と書いてしまったことで、個人の思惑がどうあろうと経済的な活動だけに全体力・精力を使わざるを得ない、まさに「生物として生きるためだけに生きなければならない」現在のワーキングプアのおかれている環境を全肯定してしまったところに問題があると思っています。
同時に、やはりkgkkさんが書かれているように、笑いは成功の必要条件であり、十分条件ではないのです。
十分条件ではないということは、永遠に笑い続けていても、永遠に成功しないという事もあるということ。
そして、笑いというのも精神力を費やす一つのコストであり、体力と同様無限に湧き出るものではないということです。
うつ病という病気があり、軽いながら私も罹ったことがありますが、あれ等まさにその精神エネルギーの枯渇状態。
笑え笑えと言われても、その元手となる精神エネルギーが枯渇していれば、笑えないのです。
だから、そういうところまで落ち込んでいる人に対しては、社会的(必ずしも政治的に、というわけではありません)にケアしなければどうしようもないのであって、個人に「笑え、笑え」と言ってもどうしようもありません。
笑うような精神エネルギーも残っていないのに、「笑え、笑え」と言われ、笑ったからといって成功は保証されていないし、しかもその成功というのも別に弾さんのように大金持ちになるというのではなく赤貧状態から抜け出てせいぜい生活が回るようになるだけ、笑えないなら底辺まで落ちようと死のうと知ったこっちゃない、ってそれって何て無間地獄?と私などは思うのですが、そんなことをしれっと言ってしまう時点で、弾さんの認識に疑いを持ってしまいます。
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