2008年01月15日

「自己責任教」は社会科学的にトンデモじゃないのだろうか

Posted by nene2001 at 03:06 / Tag(Edit): society self responsibility / 1 Comments: Post / View / 1 TrackBack / Google Maps このエントリーを含むはてなブックマーク

努力教とハゲタカ教と最善説 -過ぎ去ろうとしない過去-

泣けました。大元記事の数倍泣けました。

まあ、セグメントの問題と言ってしまえばそれまででもあるし、基本「大元記事の通用しないセグメント」に居るわけではない自分としては、素直に大元記事のエッセンスだけ受け取ってればええやんと思わないでもないし、それを素直に受け取れない自分に自己嫌悪するところもないわけではないのだけれども。

学生時代、識字学校で文字を教えるボランティアをしていたのだけど、貧困で若い頃文字を学ぶ機会を得られず、それ故に苦労してきたお婆さん達は、みな70歳代にして80歳代並の皺くちゃな外観をしていた。
それに日常として接していると、同じ頃バイトをしていた診療所に来ていた、どう見ても60歳代にしか見えない70歳代のご婦人、友人の方と「いつもお若いですねえ」「いえいえ」等と会話しているその方に対し、本来は寿ぐべき「若さの維持」という事実に、強烈な違和感、というか苛立ちを感じたことがあったのだけど。
なんか、それに近い違和感や苛立ちを、大元記事のような言説には感じてしまう。

というか、「水によい言葉をかけると結晶が変わる」という「水からの伝言」が自然科学的にアウトなのであれば、「社会を変えるためには、まず自分から変わる=自分が変われば、社会も好転する」というような「自己責任教」は、社会科学的にアウトなんじゃないのだろうか。
無生物だろうが、無機物であろうが、感謝の念を抱いて生きるというのは全然道徳(宗教?)的に「アリ」だと思うが、それで実際に「物質が変性する」と言ってしまうから「水からの伝言」はトンデモになってしまう。
同様に、「社会が自分にどんな反応を示そうと、明確な翻る事のない悪意を持って接してこようと、私は笑い続ける」という覚悟、信仰告白は全くもって「アリ」だと思うが、そこに「笑い続ければ、社会も(自分にとってよい方向に)変わる」的な現世利益を持ち込むから、トンデモになってしまってるんじゃないかと思う。

自然科学に人間の意志が入り込む余地はない?のに対し、社会科学には人間の意志が入り込むから、好意的な接し方をしていれば好意的な反応が返ってくるはずだ、という意見もあるかもしれない。
でも、それは自分の境遇を左右できるようなレベルの人間に直接接することができている人だけに通用する言説だろう。
例えば多くのワーキングプアの人が頼っている派遣業界なんかでは、彼らの命運を握っているのは派遣先企業と派遣会社の人事部門の人達であり、直接彼らと接する派遣先の現場社員達には、彼らの命運を左右する何の権限もない。
実際、私が以前勤めていた会社でも、派遣の事務員を採っていたことがあったけど、すごく明朗快活で仕事のできる人で、私はもちろん、マネージャークラスの人も含め現場は全員もっと居て欲しい、ずっと仕事して欲しいと思っていたにも関わらず、派遣の期限が切れると普通に辞めさせられていった。
そんなふうに、直接彼らと接するわけでもないのに彼らの境遇を左右する人事の人達が、昨今では最初から使い捨てる気マンマンで、派遣契約期間を(それ以上派遣を受け入れれば正規雇用しなければならない)2年11ヶ月にしてくるような事が当たり前になってるような状況で、彼らに対し「自分が変われば社会も好転する」等と信じろと言うのは、「小石を地面にぶつけて地球の軌道を変えられる」と信じろと言うのと同じくらい、無茶な事のように思える。

もちろん、複雑系の世界の中では、北京で蝶が羽ばたけばニューヨークでストームが起きるという喩えもあるくらいなので、「自分が変わる」ことで何らかの変化は社会に与えられるかもしれない。
でも、それは意図的に制御できないからこそ複雑系なのであって、その変化の結果が自分に返ってくると考えるのはおかしい。
たとえば、Aさんが辛くてもいつも笑っている事によって、派遣契約満了後自殺しようかとまで思っていた同僚が、「Aさんの笑顔を思い出して勇気付けられて」もう少し頑張ってみようと思い直した、位の変化は社会に与えられるかもしれないが、その元同僚がひょんなことから出世して、命の恩人Aさんを引っ張り上げたというようなドラマみたいな出来事でも起きない限り、Aさん自身の境遇には何の変化もない。

だから、やっぱり「自分が変わることで、社会が(自分にとってよい方向に)変わる」という主張は、社会科学的にトンデモだと思う。

大元記事のような「まず自分が変わるよ」という人、それは素晴らしいことだと思うんだけど、 だったらそれは「そうする事に寄って周りも変わってくるから」というようなトンデモ現世利益な主張じゃなくて、「周りがどうあろうと、私に対して悪意を向けようと私はそうする、何故ならそれが素晴らしい事だと自分は信じるから」くらいの覚悟で主張して欲しい。
正直、その一線が、「自己責任教」カルトに陥らない、自己責任ではどうにもならない状況にいる人を苛立たせない、分水嶺じゃないかと思う。

蛇足ながら、冒頭紹介記事内の記述

サティーは遠い国の話です。しかし我々の社会にも、サティーは無いでしょうか。

この設問、私も年始くらいに考えてたこと。

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Excerpt: 先のエントリですが、何も個人がいかなる形でも社会を変えるのが不可能、と...
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Tracked: 2008年01月17日 14:08
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「社会を変えるためには、まず自分から変わる=自分が変われば、社会も好転する」
という等式は成立しないのでは?

「社会を変えるためには、まず自分から変わる」というのは当為命題であって、
「水によい言葉をかけると結晶が変わる」という事実命題が偽であるのとは違うと思います。

Posted by: あー at 2008年01月16日 14:50
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