2008年12月31日

『共通善は共有してはいけない』に一部解毒され、一部またもやもやした

Posted by nene2001 at 10:45 / Tag(Edit): 天皇制 社会 / 1 Comments: Post / View / 0 TrackBack / Google Maps このエントリーを含むはてなブックマーク

共有されるべきは【悪】や【誤謬】(追記アリ - 地下生活者の手遊び

  1. 自分のして欲しいことを他人に施す
  2. 自分のされたら嫌なことは他人に施さない

両者の立場はともにダブスタを回避している点においては倫理的なものにゃんが、その中身はまるで違うものですにゃ。なぜかというと、Aの立場は自らと他者の間に【善】を共有しようとするものであることに対し、Bの立場は自らと他者との間に【悪】を共有しようとする立場といえるからですにゃー。

Aの社会はスバラシイ社会かもしれにゃーのだが、その【共有された善=共通善】を共有できない者にとってはきわめて抑圧的なものでありえますにゃ。宗教共同体なんかが典型例なのではにゃーだろうか。宗教共同体って、信者同士ではすんごく、きゃっきゃうふふ、していて楽しそうだけど、無信仰者はなかに入れずにつらいだろうし、それどころではなく具体的な不利益がもたらされることもありえるわけでしてにゃ。

  .........

もひとついっとくと、今の日本における最大の【共通善】は、たぶん天皇制でにゃーかな? まあ、この【共通善】はふわふわしていて厄介にゃんが。

なるほどなあ。
共通善は共有してはいけないか。
天皇制に関して自分の中で若干もやもやしたところがあったんだけれど、これで腑に落ちた。

もやもやしたところというのは、若干長くなるけど、

「天皇制是か非か」みたいな公理を争うような議論をする前に、「天皇制は是」とする立場の人って、「歴史と伝統を重んじる」という自身の公理に則って考えたって、同じ国民である沖縄やアイヌの歴史や伝統はガン無視という点で、矛盾というかダブスタを抱えてるよな、と考えてて。
自分の公理の元での論理矛盾やダブスタさえ片付けられない人々ともっと根本の公理的な部分を争っても益ないよなと思って、あえて国士な人々の公理に乗った上で、ダブスタを指摘してきたのが、この記事を始まりとする一連の記事だった。
ダブスタなく真摯に右翼たらんとすれば、天皇の祭祀にアイヌや沖縄の神々を加えるべきだという結論になることに対して、どう考えても普通の感覚では滑稽なトンデモ議論になってしまうわけだけれども、そのおかしさに気付いて自らの公理のおかしなところに気付いてくれればいいなと。
とはいえ、全くネタ記事だというわけでもなく、アイヌや沖縄の歴史や言語教育の保証なんかは、実際にそのようにならなければいけないわけだけれども。

ただ、今の右翼を自称している人々は「ダブスタだらけ」なわけだけれども、右翼が実際にダブスタなく「真摯に右翼たらん」とするならば(何度も引用したけど、朝鮮神宮祭神論争で韓国建邦の祖神も祀るべきと主張した当時の神道人のように、実際にそのように行動した人はいる)、天皇制は許容されるのか、というその1点が自分の中ではどう考えていいのか判らないまま残ってしまった。
もちろん、右翼の人がダブスタを解消したとしても、そこで初めて公理争いの議論に乗る資格ができるだけなので、それだけで「天皇制=是」となるわけではないのだけれども、右翼がその段階に達した(まあ、ありそうもないが)として、「天皇制是か非か」と問われた時に、感覚ではなく論理で「非」と言える根拠がないなあといったあたりが、もやもやしていたところだった。

その辺が解決したのが、冒頭の記事だった。
なるほど、ダブスタを解決する手段としても、共通善の共有はあってはならないわけか。

でも、一方で逆に引っかかる部分もあるのだけれど、

Bの社会は善意にあふれた社会ではなく、いわば相互の「好意的シカト」によって成りたっている社会であるといえるでしょうにゃ。都市的というか、自由主義的個人主義というか。ヒトによっては寂しいかもしれにゃーが、マイノリティに居場所のある社会でしょうにゃ。

というあたり、「シカト=無関心」という意味に採ると、私は在日の問題にしろアイヌの問題にしろ、社会の無関心が諸悪の根源のように感じているので、「好意的シカト」で社会が成り立つべきというのも、理屈は判るんですが直感的には違和感を感じます。
この辺は、どう考えればいいんでしょうかね。
まあ、上記記事にいただいたブクマでも、

  • fuktommy 社会 無関心である権利はあるはず。
  • kokogiko ↑fuktommky 個々人としてはそうでしょうが、社会全体として無関心がまかりとおっている状態が問題なわけです。そうならないための何らかの担保装置、教育なり政策なり或いは民間に任せるなら思想なり、が必要だと。

とかやりとりしたので、個人の選択の権利と社会としての責務を分けて考えればいいのかもしれませんが...。

アイヌリンク:

半生民族のために 白老で野村義一さん通夜

アイヌ民族の地位向上に尽くし、二十八日に九十四歳で亡くなった元道ウタリ協会理事長、野村義一さんの通夜が三十日、胆振管内白老町の白老斎場で営まれた。

野村さんは、三十二年にわたって道ウタリ協会理事長を務め、組織拡大に全力を挙げたほか、国連本部でアイヌ民族として初めて演説するなど、一九九七年のアイヌ文化振興法の成立や、今年六月のアイヌ民族を先住民族と認める国会決議へのレールを敷いた。

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Comments

初めまして。
実に興味深いエントリーですが、一言お邪魔します。

>社会の無関心が諸悪の根源のように感じている

 今すでにある問題を「解決しようとする」なら、無関心ではいけないと私も思います。
 ただ、例えばアイヌの問題は、時の政府が「好意的にシカト」していたのなら、そもそも問題にならなかったのではないでしょうか。
 問題の「解決」には、無関心は最大の障壁になるかもしれません。でも問題の「根源」は、私には共通善の共有、というより「無理強い」にあるように思えます。
 
 それはそうと、このエントリーを読んでふと思ったのですが、愛の反対が憎悪ではなく無関心ならば、差別・迫害の反対もまた、無関心であるかもしれませんね。

Posted by: T-3don at 2009年01月08日 00:52
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