2006年08月31日
群集によるロングテール中間層提供を生み出すための一方策
群集はロングテールの消費者たりえても提供者たりえないのではないか
ヘッドでなければ一律テール、ではない。その中に需要のレベルがある。
で、群集によるコンテンツ提供では、ロングテールにおける中間層(一定の強いニーズはあるが、そのニーズを感じる母集団がニッチすぎるために結果的にテールに落ち込むような層)のコンテンツ提供がうまく機能しないのではないかと書いてきた。
では、どうしたらそのような潜在的なコンテンツをうまく引き出して、需要に見合った供給を保証できるようになるんだろう?
ここで翻って、それではどうしてAmazonでの書籍販売なんかでは、需要に見合った供給が保証されるのかを考えてみる。
もちろん言うまでもなく、Amazonでは『限られた陳列棚』は存在せず、機械的に全商品がシステム上に載る以上、網羅性が確保されるのは当たり前のことである。
しかしそれは『存在するコンテンツ』に対する網羅性の話であって、『コンテンツ』の『存在』自体が何故網羅性があるのか(低いニーズのコンテンツであっても何故一応ラインナップが揃うのか)については説明していない。
もちろん、本当に需要に対し供給が釣り合っているかは、正直調査のしようも証明の方法もないだろうが、でも経験則的に需要と供給にそれほど酷い差異はないように思える。
何故、出版業界でのニッチコンテンツ提供者には、提供しようというモチベーションが働くのだろうか?
思うに、書籍ではコンテンツに支払われる『対価』が一律ではなく、傾斜配分させることが可能だからと思われる。
例えば、大ヒットしているベストセラー作品なんかは、数は出るだろうが、大抵コンテンツ1つあたりの売り上げは安い。
ヒットすることで文庫化などがなされると、さらにコンテンツ1つ辺りの対価は安くなっていく。
大体ベストセラーなんてのは、ニーズは多いがニーズの『質(どうしても手に入れなければ困る、等)』は低いことを考えると、価格を下げる事により需要は喚起され、さらにベストセラー化されていく。
これに対し、ニッチなコンテンツ、いわゆる専門書等は、ニーズは少ないが、ニーズの『質』自体は高い場合が多い。
どれほど高くても、必要だから買う、という類のニーズは確かに存在する(弁護士で六法全書を高いから買わない、なんて奴はいないだろう)。
そうなると、たとえ売り上げ総数は少なくとも売り上げ単価を上げることで、ベストセラーのようには稼げなくとも一定レベルの対価は確保する、という戦略を採ることができる。
専門書等のニッチコンテンツの価格が高いのは、そういった理由によるものだろう。
そして一定の対価さえ保証されれば、コンテンツ提供のモチベーションも喚起されることになる。
これに対し、今のネット上でのコンテンツ提供では、基本的にアクセス数(=本で言うところの売り上げ量)以外に基本的に対価を得る基準がない。
アクセス数が一定程度ないと、アフィリエイトの成功率も高くならないし、Google Adsense等のネット広告等もクリックされず、基本的に対価を得ることは不可となる。
どんなにその分野では有益な議論であっても、分野がニッチで必要とする人の絶対数が少なくてアクセス数が稼げなければ、そこから対価を得ることもできず、コンテンツ提供のモチベーションもあがらない。
このジレンマは、どうすれば解決できるのだろう?
1つの案として思いついたのは、コンテンツマッチングの技術を今よりはるかに高めることにより、ニッチなコンテンツに対してはニッチな広告やアフィリエイトをピンポイントでマッチングさせる、というもの。
必ずしも100%そうとは言い切れないけれども、ニッチな分野のアフィリエイトや広告であれば、同様にニッチで数が出ないゆえに、一つ売れれば大きい利益率の高い商品になるんじゃないかと思う。
よって、アフィリエイトや広告単価も高いものになるんじゃないか。
例えばGISシステムとか地図とか、そういうニッチで高価な商品のアフィリエイトは、今よりもっと徹底したコンテンツマッチングでピンポイントにGIS話題のコンテンツに配信する、とかしてアクセスから期待される報酬の単価を押し上げてやれば、それなりのモチベーションは喚起できるのではないかと思う。
一方で、今をときめくヘッドの人気コンテンツには、やはり人気のベストセラー薄利多売の広告・アフィリエイトをぶつけることで、ニーズの濃淡によりアクセスの単価に傾斜配分することができ、今の状況が少しは改善されないだろうか、と思う。
もちろん、この考えがもしうまく機能したとしても、全ての問題が解決はされない。
例えば、「鉄砲釜の鋳込み方」等と言うなんともニッチなコンテンツがあったとして、これにうまくマッチする高額なニッチ広告・アフィリエイトは存在しないだろう、というふうに、全てのニッチコンテンツにニッチで利益率の高いビジネスが紐付けられるとは限らないので。
でも、完全ではなくともある程度は現状の問題を解消してくれるのではないかな、という気はする。
2006年08月30日
Web2.0はWeb2.0であって「なんとか2.0」ではない(BlogPet)
昨日、ねねが
タイト率読みのタイト者知らず-404BlogNotFound-.
っていってたの。
*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ここ」が書きました。
2006年08月25日
ヘッドでなければ一律テール、ではない。その中に需要のレベルがある。
先のエントリにいただいたトラックバック。
前提が違いすぎる気がするね。
ヘッドに入らないコンテンツは、何でも一律テールなんだろうか?
そうじゃないだろう。
極めて良質なコンテンツで、一定のニーズもあるにも関わらず、そのニーズがニッチ過ぎてヘッドには上がり得ない味噌テールもあれば、最初から箸にも棒にもかからない、需要もない糞テールもあるだろう。
私が論じているのは、糞テールはどうでもよくて、味噌テールの話である。
そういう糞も味噌も一緒にして、テールはちゃんと出てくるのだから問題ないんだよ、というのは話が違う。
Youtubeなんか多少の手間は掛かったとしても、アップするのは只だし、個人なんかはビジネスでやってる訳じゃないから誰も見なくたって平気。だから何を映してるんだかよく分からない家庭用ビデオなんかが沢山アップされてるじゃない。
家庭用ビデオなんかは糞テールの方だ、そんなのが増えたところでテールが充実したとはとても言えない。
本でいうなら、人気ブログでもなんでもないそんじょそこらのブログが自費出版で書籍化したのがAmazonにあるようなもんだ。
そんなもんはどうでもいいのだ。
普通の本屋ではまず買えない「計算幾何学と地理情報処理」がAmazonで買えた(まあこれは元が絶版だからというのもあるけど、絶版でない本だってAmazonでしか買えないような本はあるはず)、すなわちロングテールに対する需要に供給が応えてくれたのと同じように、見逃した「コマネチ大学数学科」をYouTubeで見たいのに、見れない。
YouTubeではロングテール需要に供給が応えてくれないのは何故だ?
答えは一つで、YouTubeでは群集が供給の提供元で、その群集にロングテールに位置するが一定の需要はあるようなコンテンツを、アップするモチベーションがないからじゃないか。
Amazonでも、YouTubeでも、一部コンテンツがヘッドを構成し、残りがテールを構成する、その構図は一緒だ。
だが、両者の間では、そのテールの中でも濃淡が生じるニーズに対し、網羅性が確保されるかされないかという点で差がある。
その事を話題にしているのであって、味噌でも糞でもテールがありさえすればよいというものではないだろう。
逆、逆。商売人の方が「1つ1つでは大した需要が見込めないようなコンテンツをアップする」際には本当にそれで良いかをそれなりに吟味する筈で、Amazonみたいなネット販売の場合には陳列棚が実質的に無制限だから割と気楽に増やせるだけの話。
逆、逆。
インターネット上のアップされるコンテンツをマクロでみれば、Amazonのように陳列棚が存在しない、無限のコンテンツレポジトリとみなせるだろう。
ところが、ミクロにそれをアップする個々人の視点で見れば、個人のコンテンツアップに費やせる時間、労力といった点で制限される『陳列棚』が存在するわけで、必然『「1つ1つでは大した需要が見込めないようなコンテンツをアップする」際には本当にそれで良いかをそれなりに吟味する』商売人と同じ心理が働くわけだ。
もちろん、世の中には趣味人というか職人と言うか、世間の注目を集めようが集めまいが、ニッチな世界で良質のコンテンツを提供し続ける人だっている。
たとえば位置情報・GISのコンテンツでいうなら、たくぼさんとこやYaskeyさんとこがそうだろう(他にもたくさんあるけど、その辺は右サイドバー下のリンクから探してください)。
そういう人は、世がどうあろうと関係なく、一定のニーズがあるテールを提供し続けるだろう。
でも、自分がそうだとは言わないが、世の中にはヘッドも書ければテールも書ける、という人もいる。
そういう人にとっては、はてブ等でヘッドが拡大再生産されて持て囃される今の状況では、どちらを書くことを選ぶかと言えば、『商売人と同じ心理』を働かせ、ヘッドを書くことを選ぶだろう。
実際私も、最近は書けばそれなりにニーズがあるだろうというような話題でも、ヘッド候補を書く方に忙しく書かず仕舞いで終わらせるか、ヘッド話題に紛れさせて書くことしかしない。
でないと、浅ましい直接的表現でアレだが、ストレートにアサマシエイトの成果に響いてくるので。
かくして、皆がそのように、局所最適で合理的に行動すれば、ヘッド及びヘッドになりきれなかったヘッドもどきの記事がコンテンツを席巻するようになる。
ヘッドになるつもりでアップしても蓋を開けてみたらテールにしかならなかったというケースが大半だし、またその逆もあり得る。
ヘッドを目指してヘッドになりきれなかったコンテンツなんてのは、良質だけどニーズの総量を読み違えていたためにヘッドになれなかったというようなケースを除き、基本的に他で代替が効くゴミという意味で「糞テール」の方だ。
つまり今の状況は、ヘッドとその周辺の糞テールが席巻しているために、相対的に良質の味噌テールが埋もれていってしまっているという、そういう状況だと言っている。
で思うに、その状況に拍車をかけているのが、Web2.0の申し子ともいうべきSBMとアサマシエイトかなと思ってる。
いや俺もアサマシやってるから文句も言えんし、そしてだったらどうするのかという代案もないんだけどさ。
Web2.0を代表するSBMとアサマシエイトが、一方でWeb2.0を代表する概念のロングテール理論におけるテールの貧弱化を招いているとしたら、皮肉な話し棚と。
研修でGroovy体験、オモシロス
会社の研修で、Java VM上でのスクリプト環境、Groovyを半日体験してみた。
Javaみたいなややこしい変数の宣言やなんやいらなくて、Perlみたいにサクサクっと書けてテラオモシロス。
これなら俺でも使えそう?(Java使えないっす...テラハズカシス)
演習で、いろいろPerlで使い慣れてるクロージャの動的生成とか、Perlのmap関数なんかを使ったデータの一斉処理とかのやり方をできるか試してみたが、当然構文は違うけどおー動く動く、って感じで、ほとんど同じ考え方が使えるみたいで面白かった。
Javaで用意されてるClassは普通に使えるし、いいねーこれ。
中々遊べそう。
というか、今やってる業務と全然関係ないので、会社の金で受ける研修の本筋から外れてるんだけどさ。
数件受けられるうち1件除いて全部業務に関係ないの受けてたり(元々ぴったりくる研修プログラムが少ない業務やってたりするわけだけど)。
元々転職の際に聞いていたGIS関連とかと全然違う業務、それも技術力ほとんどつかない仕事とかやってるわけだからさ、この位は最低限の反抗?として許されるよね...許されない?
Locapointのリンク自動生成JavascriptがGoogle Maps以外にも対応
以前のエントリ、
ロカポ表記をGoogle Mapsへのリンクに置き換えてくれるJavascriptも用意されています。
HTMLのヘッダーに<script src="http://www.locapoint.com/common/lpautolinkify.1.js" type="text/javascript"> </script>
と書いてインクルードしておくだけで、そのページ内のロカポが全てGoogleMapへのリンクへと変更されます。
これで、ロカポを知らない人にも、ロカポを使った場所のナビゲートをすることができます。
と書きましたが、このJavascriptのGoogle Maps以外にも対応した版が出ているみたいです。
ロカポリンク化JavaScript (バージョン2.3) β版
バージョン2.3では、GoogleMaps以外にリンク化するマップサイトを選択できるようになりました。また、リンク化を自動で行うかどうかも選択できるようになりました。
さらに、通常のタグのリンク先アドレスにロカポを書いておけば、それだけで地図のリンク化が完成。GoogleMapを選択すれば、タグのテキストが吹出しの中に入ります。
こちらのサンプルファイルをご覧ください。
ということで、実に
| mapsiteパラメーター | 地図サイト | サイトがカバーしている範囲 |
| googlemaps | Google Maps (デフォルト値) | 全世界 |
| googlemapsjapan | Google マップ | 全世界 |
| googlemapsuk | Google マップUK | 全世界 |
| mapquest | Map Quest | アメリカ |
| yahoomap | Yahoo! Map | アメリカ |
| msnmap | MSN Map and Directions | アメリカ |
| mapion | Mapion(マピオン) | 日本 |
| navitime | NaviTime(ナビタイム) | 日本 |
| mapfan | マップファン | 日本 |
| yahoomapjapan | Yahoo マップ | 日本 |
| itsmoguide | 昭文社 It's-moガイド | 日本 |
| goomap | Goo地図 | 日本 |
| livedoormap | ライブドアマップ | 日本 |
| chizumaru | ちず丸 | 日本 |
| msnmapjapan | MSN地図(日本) | 日本 |
15通りの地図サイトに対応しているみたいです。
というか、マニアックすぎる感もなきにしもですが...。
というわけなので、これまでのGoogle Maps版以外の地図にリンクされたい方は、こっちのJavascriptも使ってみてください。
Microsoft SQL Server 2005の空間拡張
久々のGIS話題ですが単にクリッピングだったり。
SQL Server2005向けのオープンソースな空間DB拡張。今までなぜかメジャーな空間DB製品がなかった??ような気がするSQL Serverですが、これの完成度が上がるとSQL Server2005 Express Editionとの組み合わせでかなりお手軽に使える…ようになるのかもしれません。
SQL Server で空間データ対応 -いいタイトルが浮かびません。-
Express Editionでも利用可能で、ShapeやPostGISからインポートできるようです。
まだ、0.1のベータですが期待したいです。
MS SQL Serverは最近情報追ってないのでよく判らんのですが、SQL Server 2005 Express Editionっつーのは古のMSDEみたいな位置付けなんですかね?
それでも使えるという話であれば、Windows環境での空間DBとして検討しうる選択肢になるかもしれませんね。
#1年半ほど前、SQL Server 2005はネイティブにも空間情報に対応するみたいな話を読んだような気もするのだがどうなったのかな?
#ガセ?もしくは単にジオメトリ型に対応したとかのレベルだったのだろうか?
2006年08月22日
YouTubeで許されるのにWikipediaでは許されない理由は?
先のエントリでYouTubeとWikipediaが両方出てきたので気付いたのだけど、YouTubeでは著作権違反のコンテンツがアップされていても、それを擁護する意見の方が声が大きい気がするのに、Wikipediaが著作権違反に敏感で、他のコンテンツから借用したとおぼしき記述が見つかるとすぐ削除とか行われる事に対しては、特に異論が挙がらないように感じる。
私の使っている範囲での主観なので、もしかしたら事実認識自体が間違っているかもしれないけど、上記が正しいとすれば、両者での著作権への扱いの、ネット社会が持つ温度差の原因は何なのだろう?
別にYouTubeに著作権違反のコンテンツがアップされる事を批判したいわけじゃない、楽しませてもらっているのでこれからもアップされ続けて欲しいのだけれど、だったら同じ理屈で、Wikipediaだって項目が埋まった方がユーザの公益に適うのだから、著作権違反でも認められてもええやん、と思ったのだけれど...。
何か前提が違うのだろうか?
群集はロングテールの消費者たりえても提供者たりえないのではないか
自分もその群集の一人であるという事は踏まえたうえで。
はてぶがドンドン馬鹿になっていく -fladdict.net blog-
新しいこと画期的な概念、難解な議論は、とくに吟味もされずにスルーされて、まとめサイトや実務系tipsのような単なる再生産なのだけど実務での使用に耐える、そんなんばかりが増えていく。
結局ユーザー参加型コンテンツがたどり着くところはココなのか?
私も、これは事実ではなくて直感によってそうなるのではないかと感じた仮説だが、ロングテールな需要を持つ動画はYouTubeではアップされないのではないかというエントリを書いた。
結局、ブログのエントリにせよ、SBMへのブックマークにせよ、YouTubeへのアップロードにせよ、群集って言うのはロングテールの消費者としては機能しても、提供者としては機能しないんじゃないの?という気がしてきた。
だって、例えばAmazonがロングテールで儲かるのは、別に恐竜の首であろうがロングテールであろうが別に書籍リストを機械的にアップするだけで手間に差はなく、事実上挙げられる量に限界はないから、ロングテールな需要でも束にすれば大きくなるという理屈だろう。
でも、機械的に既存のものをアップするわけではなく、ブログのエントリにせよ、SBMへのブックマークにせよ、YouTubeへのアップロードにせよ、1個人が個人の有限の時間を使って『挙げられるコンテンツにも限りがある』中で、誰が好き好んでロングテール=束にすればそれなりの需要はあっても、1つ1つでは大した需要が見込めないようなコンテンツをアップするようなモチベーションが働くよ?と思う。
もちろん、そのモチベーションを喚起するトリガとして、個人の趣味や興味が存在するわけだが、それにしたって注目されない寂しさとの綱引きであり、特にアサマシエイトなんかやってる人にとっては絶対的なモチベーション喚起手段にはなり得ないと思う。
実際問題、私の例で挙げてみると、私はロングテールな需要としては多分それなりに有用で、ちゃんと最後まで追及すれば有用な人にとってはすごく有用になるかもしれない続き物のエントリ(その1、その2)を持っていて、まだ結論出してないのだけど、いろいろ調査したり実験したり手間のかかるわりに注目されないので、そんなこと追及するより「はてブ」ネタでアクセス稼ぐ方が嬉しいかなーとか考えたりもしてしまう。
(飽くまで書きたい事がある中で時間を割いてどっちを選ぶか、と言われればそっち、というだけで、わざわざアクセスを稼ぐためにネタをでっち上げるつもりはないけど。)
同じような理由で、私は正直Wikipediaの有用性にも最近は懐疑的。
実際自分もいろいろ調べるのに利用させてもらっているのでえらそうな事はいえないのだが、Wikipediaは芸能人・声優だの、アニメや特撮のシリーズ物の歴史だの、辞典としてはどうでもいい記事がものすごく詳細に挙がっている一方で、ちょっとマニアックな動物や歴史のことを深く調べようと思うと、途端に「この項目は書きかけの項目です」に出会ったり、項目そのものがなかったりする。
これも、群集によるコンテンツ提供が、ロングテール分野では充実しないことの一端じゃないかと思う。
ソーシャルブックマークにしたって、昔はタグ=群集による自発的なコンテンツ分類と持て囃されたけど、今はほとんど個人の覚えと便利な外部コメント集約装置としての役割しか果たしてなくて、「ふぉるくそのみー」なんて死語になってんじゃないの?とさえ感じる。
さらに思うのは、群集によるロングテールコンテンツの提供は、2重3重に負方向のフィードバックがかかるのではないかという気もしてる。
例えばブログのエントリ、ロングテールに位置するコンテンツは挙げようというモチベーションも希薄であるのに、それを乗り越えて挙がったものもロングテールなものはソーシャルブックマークされず、輪をかけてロングテールの淵に埋もれていく。
YouTubeの動画アップロードにしたって、ロングテールに属する動画は録画する人自体が少数派なのに、そこから手間をかけてYouTubeにアップする人となると、ほとんど期待できないんじゃないかと思う。
要するに、ロングテールの論理は、Amazonのようにあらゆるコンテンツを網羅して提供する基礎がある中で、少数の需要が束になって大きな効果になる、といったところでは有効だけれども、群集によりコンテンツが提供される分野では、うまく働かないんじゃないかと言う気がする。
ニハチの論理でいくと、8割の需要を喚起するコンテンツを書く人の4倍の勢いで、2割の需要を喚起するコンテンツを書く人がコンテンツをアップできるなら話は別だけど、誰もそんな苦労はしたくない、ちょっとでも楽して最大限の効果を得たいだろうし。
ロングテールもユーザ参加型コンテンツも、共にWeb2.0的なキーワードではあるわけだが、だからといって両者が密接に繋がるわけではないのではないかと、そう思えた。
2006年08月20日
問題は現場で起こっている、そして現場とはPCの中だけじゃない
最近のここギコ!の何かスイッチが入ったかのような保守っぷりはすごい。
うーん、基本的に革新のことしか考えてないつもりなんだけど、この辺とかこの辺が保守的に見えるのだとすれば、その萌芽は
Geekと今言われている人々の多くの感覚に違和感を覚えていたのが、なんだか自分たちの世界だけで全てが完結しているかのような印象を与える物言いでした。
あたりから出ていたんだろうな。
というか、俺的には革新というと、半導体の詰まった四角い箱とボタンの山の板、コロコロ転がすネズミさんからなる装置の中で完結する話ではなくて、
- 自分の親の世代、大量の金を抱えて社会の表舞台から退場しようとしている世代を、いかにネット世界に取り込んでお金を落とさせる仕組みを作るか
- 俺らより下の世代には、携帯電話だけでネットを使っている層がPCでの利用層をはるかに超えて存在している、それをいかに取り込むか
- ある場所の位置情報を、その場でリアルタイムに発信・収集する方法をいかに構築する?デバイス等含め
- 田舎で暮らす団塊の世代と、都会で育つ団塊の孫世代との間の智慧の世代間断絶をどうフォローアップする?
- 障害のある人間にとって使いにくいキーボードやマウスといったインプットデバイスに代わるインタフェースは?
- 都会での保育所待機児童の存在等働きながら子供を育てにくい問題と、少子化の加速をどう解決する?
なんか思いつくままに書いたのでとりとめがなくなったが、こんなのほんの氷山の一角で、社会に対し私が問題意識持っていること、不便を感じていること、考える時間やブログに取り上げる頻度の差はあれ全てに対する変革を、私は革新と考えている。
なので、ある分野に関する革新に関して論じられていたとして、その論述がその分野だけで閉じていれば、素直に私も革新と受け入れる(Web1.0 ⇒ Web2.0とか)。
でも、ある分野に関する革新に関してのみ論じられているにも関わらず、それで社会全体の革新が成ったかのような論述をされてしまうと(テレビ1.0 ⇒ Web1.0 ⇒ Web2.0 ⇒ テレビ2.0? で革新だ!みたいな)、ちょっと待てとツッコミを入れてしまいたくなるのだ。
それはその話題になっている分野から見れば保守的、と見えるかもしれないが、保守的だから突っ込んだというよりは、それで革新が成った、と思い込んで思考停止することで、他の分野まで巻き込んだ真の革新が成らなくなってしまうという危惧から突っ込んでいるので、自分ではむしろ革新の立場から突っ込んでいるつもりなのだ。
例えば散々取り上げているYouTubeをブロードキャスト2.0、テレビ2.0にという話。
俺は学生時代ボランティアで、阪神大震災で家を失い数年にわたってホームレス同然の生活を強いられた人達を支援もしてきたし、第二次大戦前後のドタバタと貧しさの中で、教育の機会を奪われひらがなやカタカナも読めない人々相手に文字を教える活動もしてきた。
だから、そんな人々にとって、とりあえずスイッチを入れるだけで最低限の動作をするテレビやラジオがどれほど有効なブロードキャストの手段かと言うのを身をもって知っているし、ブロードキャストの革新を考えるならばまず私はそういう人達の存在が頭に浮かぶ。
だから、YouTubeがどれだけ革新的な価値観を提示していても、Web2.0の範囲内の変革という範囲であれば素直に首肯できるのだけれど、ことそれがテレビの、ブロードキャストの変革だ、2.0だ!とか言われ、さらにテレビ1.0への投資をそちらに回すべきだ、とか言う話にまでなってしまうと、ちょっと待ていという気分になってしまう。
YouTubeを見るのに必須のネット回線を、災害避難中の人が、ホームレス状態の人が準備できるか?YouTubeを見るのに必須のPCを、文盲の人が使いこなせるか?検索できるか?
私はホームレス状態の人を支援したことがあるだけで、自身がホームレスになった経験はない(昨今の格差固定社会の中で、負け組ギリギリのラインを綱渡りしてるので、あと何回か失敗すれば将来ホームレスになりそうな不安はひしひしと感じているが)。
その一方で、YouTube=ブロードキャスト2.0として投資せよ、という弾さんは、中学時代家出でホームレスになった経験があるとよく語られている。
その弾さんが、ホームレス状態になれば全く使えない今のYouTubeに、現行のテレビインフラを押しのけてでも投資せよ、と言われているのがよく判らないのだ。
革新すべき問題というのは、まあ言うまでもなく机上の空論ではなく現場で起こっているわけですが、その現場というのはPCの中だけの世界ではなく、広い現実社会のあらゆる局面が全て現場なのだということを、知るべきじゃないかなと思う。
2006年08月15日
タイトロープ(BlogPet)
そういえば、ねねが
視聴率BitPetsの視聴者知らず-404BlogNotFound-.
とか書いてた?
*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ここ」が書きました。
コマネチ大学がアップされないのはロングテールだからだ
残念ながら、今のところはコマ大は誰もYouTubeにアップロードしていないし、フジテレビもそれを許していないだろう。
しかしNBCのようにフジテレビがそれを認知すれば、ハルヒのようにコマ大をYouTubeで見れるようにもなるし、そうすれば私をはじめとする視聴者はそれをBlogにも張ることができるので、「再視聴率」は確実に上がると思われる。
本当にコマ大がアップされないのは、著作権元が許してないからだけなのだろうか?
「亀田父v.s.やくみつる」のように、アップされるものは著作権元がアップを許そうが許そうまいが、今でも大量にアップされている。
コマ大がアップされないのは、単に需要においてロングテールに位置しているからだけの話ではないのだろうか。
単にアップしてもそれほどアクセスが稼げそうにない、そんなものを手間隙かけてアップしたくないというだけのことではないか。
確かに、コマ大だけに関して「だけ」言えば、フジテレビが許せば誰あろう保証してくれたw弾さんがアップするだろうし、確実にYouTubeで見られるようになるだろう。
でも、その他の番組に対してもそれが保証されるのだろうか?
家内が見ている「チャングムの誓い」や以前見ていた「流星花園」(家内はアジアドラママニア)、息子が見ている「仮面ライダー」や「スーパー戦隊」、「まんが日本昔ばなし」なんかは、著作権元さえ許せば確実にYouTubeで見られるようになるのだろうか?
私はYouTubeで動画をアップした経験がないので判らないが、画像なんかと違ってデータ量の大きい動画データをアップするのは、そんな気軽な事ではなくて結構手間と時間がいるのではないかと推測する(少なくとも数秒で済む作業じゃないだろう)。
そんな手間をかけて、「亀田父v.s.やくみつる」のように話題をかっさらってるアクセスを稼げそうな動画ではなく、ニッチな需要しかない動画を毎回手間隙かけてアップしてくれるだろうか?
そのようなモチベーションがどのようにして喚起されるのだろうか。
念のため書いておくと、私がここで書いているのはアップされるかどうかが疑問だ、というだけで、一旦アップされたならば、ニッチであれ時間に制約されないオンデマンドの視聴が増えて、累積により再視聴率が増える、という議論は全くその通りだと思う。
Amazonのビジネスモデルなんかと同様、典型的なロングテール理論だ。
むしろ、放映してみるまで判らない今の視聴率ベースの広告(CM)収入より、1視聴されれば確実にそれがカウントされ広告も配信された事が確認できるオンデマンド配信の方が、よほど広告として有用な媒体にもなるだろう。
だが、今のYouTubeは、たとえて言うなら「Amazonマーケットプレース」だけで成立しているAmazonみたいなもんだ。
システム的にロングテールの需要に応える素地はあったとしても、ロングテールに対する供給は全く保証されない状況になっている。
ロングテールの需要に応えるには、ロングテールに対する供給も確実にする必要があるだろう。
だから、YouTubeがテレビに取って代わるには、著作権元が著作物をアップする事を許可するだけでは不十分で、著作権元が積極的にコンテンツをYouTubeに提供するよう、提携等が必要だというのが、先のエントリの前半での主張。
もちろんそれがYouTubeである必要はなく、他の動画配信サービスでもよいのだけれど、その意味でYouTubeよりライブドア等国内インターネットサービスとテレビ・映画会社等コンテンツ配信業者との提携の方が、「テレビに取って代わるメディアとしては」期待できるんじゃないかと考えている。
2006年08月13日
土砂崩れ
しょぼい台風だった七号だけど
うちの家からほんの一分くらいのとこで土砂崩れが起きた
新聞にも航空写真付きで記事が載り
朝から緊急車両や取材ヘリでうるさかった
目黒川沿い低地から山手線も通ってる高台までの間の土手なんだが
下の道路は幹線でも何でもなく
はっきり言ってうちの区民住宅や周辺の都営住宅の車庫入れ専用道路
歩く人も散歩の人くらいしかいない
被害者もいなかったし
自分の居住エリアが新聞沙汰になったということより
その程度でヘリまで出て新聞記事になるというのにむしろ驚いた

Web2.0はWeb2.0であって「なんとか2.0」ではない
YouTubeがテレビに並ぶためには、そんな画像配信技術なんかより、予測のメディア「としても」機能するための様々な提携や仕掛け、万人に公器として受け入れられるための機器やインフラ整備、そういった問題の方がはるかに大きいと思う。
にもかかわらず、まるでYouTubeがすでにテレビ2.0、Broadcast 2.0を実現している、といった感じで大々的に取り上げられている事に、すごく違和感を感じている。
を自分なりにもうちょっと考えてみると、Web2.0はまさしくWeb2.0以外の何者でもないが、その基盤の上で動作する、既存のアプリケーションを置き換えるようなアプリケーションは、思わず「何とか2.0」と言いたくなるけど、実は違うのではないか、と感じた。
説明を加えると、
Web2.0は、間違いなく進化だ。
何故かというと、Web1.0を実現するのと同じ基盤の上で成立しているから。
Web1.0を体験できるものは、その延長線上でWeb2.0も同じように体験できる。
つまりWeb2.0を体験するのに必要なステップとしては、
- Web1.0 ⇒ Web2.0
の1ステップだけであり、これは進化と呼んで差し支えない。
ところが、Web2.0基盤の上に成り立つ他のアプリケーションはどうか?
例えば既存のYouTubeをテレビ2.0として呼ぶ場合を考えよう。
確かに、YouTubeの提供するエクスペリエンス、その生み出す新しい価値観は、テレビ2.0と呼びたくなる代物かもしれない。
だが、そのテレビ2.0を体験するために必要なステップを考えてみよう。
テレビ2.0はWeb2.0の基盤の上に乗っている以上、テレビ2.0を体験しようとするユーザは、まずWeb2.0を、その前にWeb1.0を体験しないといけない。
- テレビ1.0 ⇒ Web1.0 ⇒ Web2.0 ⇒ テレビ2.0
つまり、テレビ1.0を体験しているユーザは、その基盤のまま単なる端末の買い替え等でそのままテレビ2.0に移行できるのではなく、Web1.0体験済み、Web2.0体験済みといった条件をクリアしなければ、テレビ2.0に移行できないのである。
そして、「この期に及んで」まだWeb1.0を体験していないユーザにとって、Web1.0を体験するという最初のステップがどれほどハードルが高いかというのは、ちょっと考えてもらえば判ると思う。
その意味では、新しい価値観を提供した、という点では確かに進化なのだが、「テレビ1.0を実現するのと同じ基盤でユーザに体験を提供できない」という点では、YouTubeはテレビ1.0から見て明らかに「退化」なのである。
進化もあるがそれを打ち消すはるかに大きな退化もある、そんなものを「2.0」と呼ぶことはできない。
もちろんこの先、YouTube(或いはその類似サービス)がもたらす価値観変化が広く社会に浸透してくれば、それをテレビ1.0と同じように気軽に使えるための専用端末なんかも現れたりして、
- テレビ1.0 ⇒ テレビ2.0
というショートカットが当たり前にできるような状況が整うかもしれない。
それなら、それが成立して初めて「テレビ2.0」と呼んでやればいいじゃないか。
Web2.0の基盤の上に成立した新しいエクスペリエンスだからといって、既存のアプリケーションとの社会に与えるインパクト差を十分に考えることなく、何でもかんでも「なんとか2.0」と呼ぶのは、もうやめにしないか。
2006年08月12日
ここギコのデザイン改善方法、募集します
ここギコはケータイでみたウェブのことについて語る前に、ウィンドウを少し小さくするとヒダリカラムと本文がくっついてたちまち読みづらくなる問題を早く是正してください><
IEで見た場合の話ですよね...。
気付いてはいるのですが、Firefoxでは普通に表示されるしIEでも広い画面だと大丈夫なので、ついそのままに...。
今のデザイン自体、苦労して作ったので、改善にかかる苦労を思うと、なかなか着手できず...。
なんで苦労してるかというと、3カラムデザインなんだけど、HTML上で中央カラムが一番始めに記述されるような工夫をしているため。
普通のデザインなら、左右のカラムを先に書いてフロートさせて左右に配置し、中央カラムが一番最後に来るんだろうと思うのだけど、先に中央カラムを書こうとしているため、ちょっと無理が来ています。
でも、無理があってもこれはちょっと譲れない...なんとなれば、ここでも取り上げたGoogle串でケータイ等から見た場合、カラムの記述がHTML上で先に来てしまうと、ぐちゃぐちゃになって見れたもんではなくなってしまうため。
古くよりケータイからGoogle串を活用してきた者として、自分のサイトがGoogle串でぐちゃぐちゃになってしまうのは耐え難い。
だからといって多くの人が使うIEでぐちゃぐちゃになっていいのか、とは思いますが、どうしても自分が普段使わないので、Google串・Firefox視点が優先になってしまう...。
でもそのままにもできないので、このページのデザインの解決方法を募集したいと思います。
条件としては、
- 配置は、現在と同じ、左160ポイント、右180ポイント、中央可変の3カラム(というか、見た目を変えるつもりはない)。
- HTML上で、中央のカラムの記述が、左右カラムより先に現れる事。
- IEで画面サイズを小さくした場合に、左カラムと中央カラムが重なって見にくくなったりするようなことがない事。
- (必須ではないが、できるだけ)FirefoxやOperaで見た場合に現れる、右側にはみ出した空白エリアがないようにする事。
- 最悪、Javascriptを用いて、後半に書かれたHTMLを、前の方の左右カラムのDIVにコピーする、といった対処でもよい。
しかしJavascriptを用いない解決法があった場合は、そちらを優先する。
といったところです。
本エントリのコメントなりトラックバックなりに、連絡が取れる形で新デザインを提示いただくか、メール(nene_at_kokogiko.net:_at_を@に)にてご連絡ください。
採用させていただいた方には、私が仲間と共訳したオライリー本:「入門Webマッピング」、或いは、Where2.0好きな人の集いで入手した、

「アンビエント・ファインダビリティ」のTシャツ(サイズはM)のお好きな方いずれかを差し上げます。
ちなみに、Tシャツの方ですが、きちんとその後洗濯はしていますが、お宝をゲットしたにも関わらずサイズが合わないのが納得いかず、もしかしたら着れるかも...と一瞬一度袖を通した汗かきデブの、汗と悔し涙がわずかながら染み込んでいます。
それをご了解の上で、ご希望ください。
今さら相互確証破壊かよ
Q02“核の傘”の前提となっている相互確証破壊という核戦略の概念を知っていましたか?
(注:考え方であり“相互確証破壊”という用語を知っているかどうかは問いません。)
「平和」教育のために「戦争」を教えるというのは大賛成だ。
平和なんてのはお題目や脳みそお花畑で維持できるもんじゃないし、維持するためには歴史上どういったプロセスで戦争が起こってきたか、ならばどうすれば戦争が起きないか、といった事を学ぶ必要がある。
(だからといって、一方でまた単純に、ナチスに対し英米の対応が遅れたから第二次大戦が起きた、だからそれを教訓に脅威に対しては先制攻撃云々といった議論にも与したくはないけど)
でも、その学ぶ論理が「相互確証破壊(Mutual Assured Destruction:MAD)」?ハァ?
そんな冷戦時代の時代遅れな発想持ち出してどうすんだ?
もちろん、戦争の考え方の一歴史として、そんな考え方が席巻してた時期もあった、という事を教えるのなら判る。
でも冷戦が崩壊して多極化(或いは一極化)している現代に、まだそれが機能しているかのような事教えてどうするんだ?
そんなもの持ち出した途端、北朝鮮の核武装も、イスラムのテロ行為も、容認しなければならなくなるぞ。
なんとなれば、何故「相互確証破壊」に「相互」という単語が付いているかを考えてみればいい。
論者は、アメリカの核の傘の下にいることにより、北朝鮮等が日本を攻撃した際に、返す刀で北朝鮮が確実に滅ぼされるという状況を作り出す事により、日本への攻撃を抑止する、と言いたいのだろうが、それは北朝鮮の側だって同じことだ。
戦争大好キ基地外北朝鮮と違って、日本は自分からは戦争しかけねーよバーカ、とか言ったって、そんなのは向こうからすれば何の保証もないことであって(実際イラクへの攻撃は、そりゃ国連決議への対応とか問題はあったにせよ、基本的には「大量破壊兵器を保有している」という勘違いから起こったことだし、「正義の国」を標榜して意味のない戦争はしない、とか言っていようが相手に取っては何の保証もない話だ)、同じように「相互確証破壊=攻撃すればお前の方も滅ぶぞ」という状況を作り出して戦争を抑止するためには、自力で核武装しなければならない、ということは自明だ。
ましてや最近の日本では、先制攻撃已む無し、なんて論調も出てきているので、相互確証破壊を適用するならますます北朝鮮の核武装に正当性を与える事になる。
相手が悪の枢軸だろうがなんだろうが、そんなもんは主観なのであって、自分の方に適用している論理を相手の方に適用を許さない、というのはダブルスタンダード以外の何者でもない。
イスラムのテロにしても、相互確証破壊を持ち出すならば、持たざる者だから核は用意できないにしても、自分達が攻撃されないようにしようと思えば、それ相応の打撃を相手に与えて、攻撃すればお前達の方も被害を受けるぞという意識を相手側に与えなければならない、という点で、正当化されてしまう。
まして、冷戦時代のアメリカとソ連といったように、差はあったとは言えある程度社会維持コストが同レベルの勢力同士ならばともかく、日本のような先進国でちょっとでも社会が脅威を感じると一気に厭戦気分が高まるであろう民主主義国と、社会が壊滅しようが国家中枢は意にも介せず戦うであろう独裁国家の北朝鮮や、イスラムの狂信主義者なんかを相手に相互確証破壊を持ち出せば、結局被害の均衡による論理である以上、明らかに先進国側に分が悪い。
あまりにコストに見合わなさ過ぎる論理になる。
極端な話、国家に与えるショックのレベルとしては、下手をすれば全土が焼け野原になった時の北朝鮮国民のショックよりも、百万都市が一つ全滅した時の日本国民のショックの方が大きいかもしれない。
そうなると本当に、たった一発の核爆弾開発だけで、相互確証破壊の均衡は取れてしまうかもしれないのだ。
よって今や、単純に一大国に寄り添っての軍事力による相互確証破壊戦略では成り立たなくなっている。
北朝鮮の核武装やイスラムのテロ行為を解除して安全保障するには、何か別の戦略が必要になっている。
それが何かはまだよく判らんけど、そんな時代に「平和教育」と称して相互確証破壊を教えて、何になるのかと。
時代錯誤も甚だしすぎる。
YouTubeをすみだタワーの代わりにとかが素でわからない
最近(といってもピークは1ヶ月近く前だけど)私のリスペクトするブロガーの方々がやけにYouTubeを持ち上げて、テレビに取って代わるとか言ってたりするのだけど、これだけは素で判らない。
見たい番組の存在は『放送後』に知ることが多い、だからYouTube -Life is beautiful-
Broadcast 2.0 -404 Blog Not Found-
YouTubeは面白い、けど私から見ればそれはテレビのそれとは全然違って、テレビは「期待を満たしてくれる(予測の)おもしろさ」、YouTubeは「期待を裏切ってくれる(不測の)おもしろさ」だ。
テレビは面白いから毎週見よう、とか思っている番組を、毎週決まった時間に期待通り流してくれる。
一方、YouTubeは、何が挙がっているか判らない、でも思いがけない映像に出会える面白さを持っている。
両者は全然違うような気がする。
そもそも、あらかじめ見たい番組を知っているケースはごくまれで、知り合いやブログを通して「こんなおもしろい番組をやっていた」という情報を『放送後』に得る場合がほとんどである。
そんな時に役に立つのがYouTube。
中嶋さんの記事だが、弾さんも同じことを言っている。
でも、私も後から面白い、という番組を知ることはままあるけれど、それがYouTubeでヒットした確率はいまだにゼロだ。
例えば一番の例が、弾さんが毎週取り上げているコマネチ大学数学科、記事読んですごくおもしれーと思って録画しなきゃと思うのだが、いつも忘れて弾さんの記事で思い出す、という状況が何週か続いた(今はちゃんと録画してる)。
でも、この番組が、中嶋さんや弾さんがそれほど「YouTube!」と言うので検索してみっかと探しても、ひっかかったことは一度もなかった。
こんなヒット率だと、「おもしろい番組があったって?ならYouTube行くか」ととりあえず検索してみる、ようなモチベーションは限りなくゼロになるし、少なくとも私にとって、YouTubeは予測のメディアにはなり得ない。
私が知らないだけで、どこかに「この番組挙げてくれ!」と情報交換する板とかでもあるのだろうか?
それにしたって、それが周知されてて一体運営されてなければ予測のメディアにはならないと思う。
それにそんなのがあるとすると、弾さんがコマネチ大学13講見逃したと騒いだり、「ラテンアメリカの挑戦」を帰国後再放送で見よう、とか言ってるのも変だ。
おもしろい番組は後からでもYouTubeで見られるのだったら、YouTubeで見ればいいじゃん、と思う。
不測のメディアとしてYouTubeが面白いのは認めるけど、予測のメディアとしてなら、何が挙がるか判らないYouTubeよりも、ホリエモンなき後どうなってるのか判らないけど、ライブドアが掲げた「ネットとメディアの融合」の方がまだ期待できる。
ネットと既存メディアが提携したならば、少なくともある程度のコンテンツはオンデマンドで提供されるようになると思うからだ。
技術的にも、YouTubeと同レベルの動画配信を裁くくらいの技術は、ライブドアには既にあると思うし。
ましてや、弾さんの掲げた
日本ではすみだタワーなるものを立てようとしているが、一本500億円するのだ。
YouTubeの年間維持費を$24mil/yearだとして、これですみだタワーの値段を割ると、およそ18倍。
これを元にNPVの金利をはじき出すと、6%を少し切るぐらい。
VCの感覚からすると、実はずいぶんと安全な投資対象だ。
しかも500億円もいっぺんにかかることはないのだ。
に関しては、ネタでないのならば正気ですか?という気がする。
確かに「ブロード」「キャスト」する中心基盤だけで比較するなら、YouTubeはすみだタワーよりはるかに安上がりだが、YouTubeはそれだけでブロードキャストできるわけじゃない。
視聴するためのPCやネットワークといったインフラがなければ、YouTubeは何の役にも立たない。
全てのインフラが整い、あらゆるテクノロジーに通じた弾さんの家にブロードキャストする手段としては、そりゃYouTubeがもっとも安上がりなのかもしれないが、PCはまだまだ老人や子供にとって使いやすい機器とは言えないし(テレビならうちの4歳の息子でもスイッチ入れてすぐ見てる)、ネットワークはかなりコストは安くなったとはいえ、万人の家に行き渡っているわけではない。
その上、テレビは一方で、一度災害が起こったりすれば、万人に遍く必要な情報を提供するための、公器としての役割も担っている。
乾電池一つで動かせ、下手すれば自作で端末を作成できるラジオと比べれば、その役割は薄いとは言えるが、全く持っていないわけではない。
ネットワークが寸断されればたちまち使えなくなるYouTubeと比べ、耐久性も障害からの復旧性も、公器としての優位性は、だんぜんすみだタワーにあるのは間違いない(地震で折れたら知らんけど)。
サルでも使える簡便なYouTube専用端末を開発して、万人が公器として利用できるよう、無線のネットワーク接続環境を無料で整備して、といったインフラ整備を、すみだタワー守備範囲の関東一円に展開することを考えてみればいい。
YouTubeだけならすみだタワーより安くても、そういう諸問題をテレビと同レベルにまで持ってくるための投資まで視野に入れれば、とてもすみだタワーとYouTubeを比べる事はできないだろう。
はっきり言って、今のYouTubeを成り立たせている技術自体は、大したもんではないと思う。
もちろん俺に作れと言われればできないけど、ライブドアやはてな、Mixiなんかがコピーを作ろうと思ったら、いつでも作れるんじゃないかと思う。
YouTubeがテレビに並ぶためには、そんな画像配信技術なんかより、予測のメディア「としても」機能するための様々な提携や仕掛け、万人に公器として受け入れられるための機器やインフラ整備、そういった問題の方がはるかに大きいと思う。
にもかかわらず、まるでYouTubeがすでにテレビ2.0、Broadcast 2.0を実現している、といった感じで大々的に取り上げられている事に、すごく違和感を感じている。
#念のため書いておくと、本記事はYouTubeと既存テレビインフラとの比較を書いただけで、すみだタワーそのものが本当に投資して作るべきものなのか、既存の東京タワーで十分なのではないか、といったことは私は判りませんので、その件を議論するつもりはありません。
亀の子算
ビルゲイツの面接試験―亀の子算編 -Life is beautiful-
【例題1】親亀が11匹います。その上に何匹かの子亀、そしてさらにその上に何匹かの孫亀がいます。上に他の亀を乗せていない亀の数を数えた所、56匹でした。さて、亀は全部で何匹いるでしょう?
とりあえず1番乗り目指して簡潔に。
当初、親亀の数(11匹)分だけ背中は空いている。
そこに、子亀(あるいは既に乗った子亀の上に孫亀)が乗る度に、親亀の背中が1減って子亀の背中が6増えるので、背中の数は5増える。
問題の背中の数は56、当初の11から45だけ増えている、すなわち5ずつ背中が増えたのが9回分。
つまり子亀か孫亀かは問わず9回上に乗ったという事だが、1回乗るごとに6匹増えるので、6×9+11=65。
よって答えは65匹。
2006年08月10日
議論を喚起し得るコメントをソーシャルブックマークにつけることへの違和感
「PCから見るWebの世界と、ケータイから見るWebの世界は別物なのだなあと実感」へのはてブコメント:
国際規格のWWWとNTTドコモの規格をいまさら比較して「別物なのだなぁ」と言われてもなぁ。
やっぱりPCWebとケータイWebは断絶しているのだなあ...とさらに実感。
いまだにケータイWebというとNTTドコモだけだと思っている人がいたとは。というか、俺、Google串の話でauって書いてるんですけど...。
さらに言うなら、NTTドコモ独自のcHTMLの時代はとっくに終わっていて、今の時代はドコモも含めWAP2.0、XHTML Mobile Profileの時代(もちろん細かい各キャリアの独自拡張はありますが)。
立派な国際規格なんですが...。
とまあこんな感じで、ソーシャルブックマークでのコメントに反論加えたくなることもあるわけですが、ちょっと前にあった
- 何となくDISられた理由が見えてきたの元となったにぽたんのライブドアクリップ
にしろ、
- Evilな会社の情報交換はあってもよいのではの大元となったotsuneさんのライブドアクリップ
にしろ、にぽたんやotsuneさんを逆DISるつもりじゃないけど、どうしてみんな、議論を喚起するようなコメント、特にDISり方面のコメントをブログエントリのコメント欄につけるのではなく、ソーシャルブックマークにつけるのかなあと思う。
ソーシャルブックマークみたいに各人1回1行しかコメントを付けられず、かつトラックバック受付機能もないようなところで意見書いたって、議論が広がりようがないやん?
おまけに、ごめん中の人のにぽたんには悪いけど、はてブと比較してマイナーなライブドアクリップで意見したって、こっちは常時はチェックしてないので反論のしようもない(otsuneさんははてブにも並行して投稿してくれてるので問題ないけど)。
今回にぽたんのDISりに気付いたのはリファラーに残っていたからたまたまで、普通なら気付かない。
そんな議論もできないみんな「言いっぱなし」の場での知識の拡がりをもって「集団知」とか「Wisdom of Crowd」とか言われてもなあ...という気がする(にぽたんやotsuneさんが言ったわけじゃないけど、SBMでの知識の拡がりを持ってそう表現する論調が多い気がするので)。
本気でソーシャルブックマークを持って「集団知」を実現する場とするならば、元記事にソーシャルブックマークされた事を知らせるトラックバック送付機能、及びそれに対する追加議論が別の場で為されていることを知らせるための、トラックバック受付機能が必要だろう。
というわけで、ライブドアクリップの中の人(担当してるかどうかは知らないけど)のにぽたんには、ライブドアクリップへのトラックバック送信/受付機能の実装をキボンヌ。
タイトロープ
本当に綱渡り状態だ。今のプロジェクト。
200人からのメンバーからなるプロジェクトなのに、意思疎通は直接会話・メールベースのみ、情報管理は共有ファイルサーバレベルのみで、情報共有のためのシステム、仕掛けと言うのが全くない。
極端な話(いや極端といっても実話だが)、さすがに総務部門は全体の名簿を持っているけれど、どのメンバーがどのチームに居て、各チームが今何人体制で仕事しているのか、という開発部隊内部での名簿すらない状況。
うちのチームは、実装を伴わない構成取り纏め・見積もり等のチームなので、チームメイト(というか要するに配下)も3人とコンパクトなのだが、実装を伴う業務実装担当のチーム等では、顧客先の部門単位でチームを分けている(例えば総務部門業務担当、営業部門業務担当、人事部門、等等)のでチーム毎に規模が違うのだけど、最大のチームになるとリーダーの配下に50人近いメンバー(大半が実装要員)が配置されていて、既にリーダーも全く全員を把握できていない状況(流石にサブリーダークラスは、自分の下だけは把握してると思いますけどね)。
おかげで、そろそろ開発用のPC等機材が足らなくなってきているので各チーム間で調整しないといけないとかになっても、どのチームがどの規模で不足しているのか全く判らず、まずメンバー調査から始めましょう、という有様だ。
この状況で、よくここまでプロジェクトを進められたなと思う。奇跡に近い。
マネジメントがうまかったわけではないだろう。
本当にマネジメントができているのならば、まず第一に情報共有の仕組みとかそういう部分に手をつけるはずだ。
というか、本当に問題が起こるたびに場当たり的対処で、目に見える部分だけ取り繕っているような感がある。
設計書等の客先納入物で、文章で記載できる範囲の設計は辻褄を合わせているが、そういった部分に出てこない裏のインフラ的な部分の設計は、全然できていないような感じだ。
その辺が設計不十分だと気付いた者が気付いた範囲(ちゃんと設計されていないと自分が困る範囲)でだけ手をつけて、全体を網羅して設計が完了しているかは全く誰もノーチェックな状態。
目に見える範囲が辻褄合っているから、うまく回っているように見えるけれど、徐々にボディブローのように効いてきそうな感じがする。
いつかどこかで、時限爆弾として爆発するんだろうな、という予感がする。
でもってもひとつ怖いのは、俺も含めて、結局社内にまともなマネジメントの経験がつかないということ。
俺もこんな批判じみたこと書いてるけど、正直だったらどうマネジメントすべきだったのかというと正直判らない。
情報共有の手段を設けてないとかそんなどうしようもない辺りはさておいて、だったら情報共有システムさえ作っておけばよかったのか、うまく回っていたのかというと、さあ?という感じだ。
結局、3年も4年も費やすにもかかわらずこのプロジェクトで経験値として得るものはほとんどなく、また新しいプロジェクトが始まれば同じように事は進んで最後にどたばた帳尻あわせ、という悪循環になりそうで怖い。
2006年08月09日
人間FPS(Frames per second)導出野郎
すごい人もいるもんだ。
と言っても直接知ってるわけじゃなくて又聞きだけど。
仕事上のチームメイトの知人で、自作系PCパーツショップの店員やってる人なんだけど、今世に出ているあらゆるグラフィックボードの性能に精通していて、「このボードをこの構成でこうこう使えば、FPSどの程度出てどういう効果が実現できますよ」とか全て空で答えてくれる人がいるらしい。
おまけに単なるスペック暗記君ではなく、「○○ゲームで、画面上のキャラクターが30人くらいになるとチラつくんだよね」とか相談すると、「それなら××FPS程度必要になるから、この構成に変えればいいよ」とか適用までアドバイスしてくれるという。
「そろそろ新しいボードが出てくるはずだから、この機種は様子見した方がいいよ」とか動向まで含めアドバイスしてくれるんだが、親身にアドバイスし過ぎるあまり「このボードは隣の店の方が安いですよ」なんてこともつい言っちゃう、おちゃめさんだそうだ。
ちなみに、その話題が出てきたのは、今回のシステムでNVIDIA Quadro FX 4500 X2という神のような(そしてある意味馬鹿臭い)グラフィックボードを使うので、その話題で盛り上がったため。
高解像度デュアルリンク4出力可能なボードがこれしかなかったので採用し、完全にこれに依存した設計にしてるのだが、運用機調達時期が半年ぐらい後なのでそれまでに発売中止にでもなったらテラヤバス。
まあそうなったら、PCI Express X16ポート2つ持ってる端末選定して、デュアルリンク2出力のボードを2枚挿しするしかないと思うが、確実にこのボード1枚で済ませるよりは原価高くなるだろうし、調達台数が並じゃないからちょっと苦しいかも。
2006年08月07日
光武帝、萌えました(BlogPet)
今日は、ねねたちが、伝記とかをキヴォンヌしなかったよ
ねねが、伝記とかをキヴォンヌしたいはずだったの♪
ここたちが、ネットで伝記をキヴォンヌしたいはずだったの♪
今日は、大きい伝記とか言ったよ
ねたちが、大きい伝記とか伝記などをキヴォンヌしたいはずだったの♪
ここたちが、ネットで伝記をキヴォンヌしなかったよ
と、ねねが言ってたよ♪
*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ここ」が書きました。
2006年08月06日
BitPets、マジすごい...
一つ前の記事で紹介したBitPetsですが、今、日曜日の朝3時の時点でアクセスしてみたら、現在接続中のアクティブユーザ数が4000人。
もちろん最終アクセスからどのくらいの間をアクティブと定義するかによっても実態は変わってくるし、深夜とは言え週末なわけですが、それでもこんな時間に、瞬間アクセスしてるユーザが全体の4%(全会員10万人として)ってすごくないですか?
ちなみに、数分毎にアクセスしても毎回アクティブユーザ数違う値が出るので、結構頻繁に更新してるという事は、集計範囲もそんなにサバ読んでいないのではないか?と推測されます(少なくとも、半日とか1日とかのレベルじゃないでしょう)。
瞬間風速でこれだとすると、Mixiとかで採用しているログイン率(ユーザ全体に対し72時間以内に再ログインする確率)で計算すると、結構すごい数になるんじゃないかと推測します(Mixiは7割)。
これだけの伸び率で、これだけの会員がいて、これだけのアクティブユーザがいる。
さらに、ユーザはアクセスする度に、自分の居場所を連絡してくれるのです(そういうサイトですから)。
そういうユーザ達に、まさにその場所にいる人に対して有効な広告を打ち出せるわけです。
おまけにブログや簡易ソーシャルネットまで握ってるから、嗜好までマッチングした広告も打ち出せるかもしれない。
一方で、位置をベースにした広告というのは、私もかねてより指摘しているとおり、広告を打つ側にとってもメリットがあります。
今までのGoogle Adsenseのように、どこの誰とも判らない人対象に、(サイトのキーワードなどでマッチングしているとは言え)無差別に配信される広告では、露出が多くなって広告費が高くなる割に効果が薄く、場所に関係のない全国的な企業やサービスのみが広告主の対象となり、地域に根ざしたクライアントなんかは広告主になりにくくなるわけです。
沖縄やニューヨーク在住の人も見るかもしれない広告枠に、札幌駅前の蕎麦屋が広告打つわけがないですからね。
ところがその位置にいる人にピンポイントで打てる広告となると、配信数が少なくなって安い広告費になるわりに効果が高くなり、そういう地域密着のクライアントも潜在的広告主となり得るわけです。
つまり、広告主の「ロングテール」を開拓できる素地ができるわけです。
もちろん、実際には潜在的な広告主が居ても、その潜在的広告主に有効な広告の場があることを認識してもらい、そして広告の契約を取れなければ意味がないので、一筋縄ではいかないかもしれません。
場合によっては、楽天が新規出店を開拓する時のように、泥臭い営業をあちこちにしないといけないかもしれません。
でもその辺も、自分達でやらなくても有効なメディアさえ持っていればどこか代理店と組むという手もあるでしょうし、その有効なメディアに育ちそうな種は既に持っているわけです。
これは、ちょっと面白い動きになりそうだなという予感がしています。
そういう可能性を感じるBitPetsですが、マジで一番すごいなと思うのは、それだけのサイトでありながら、特に新しい技術や、特権的なメディアを使ったりしているわけではないこと。
同じリビット社が運営しているちず窓なんかは、「すごいけど昭文社の地図があるからできることでしょ」みたいな感じで言えるけど、BitPetsに関しては、特に地図とかそんな昭文社だから使えるリソースを使っているわけでもなく、同じ事を思いついていれば私でも誰でも、数年前からでも始められていたことだ。
これがすごいと思う。
何も言い訳できない。
完敗です。テラスゴス。
期待して、今後の成長を追っていきたいサービスです。
---- 補足 ----
えっと、この記事見てBitPetsに入会して、「なんだ?ここギコねねはこんなサービスが面白いとか言ってんのかよ」とか思う人が出ても嫌なので補足です。
私のBitPetsに対する興味は、まず企画における技術的な、位置情報ベースのエージェントを利用したコミュニケーションを実現したと言う、そこにまず面白いなと思っています。
そこに関する興味が、全体の5%ほど。
ですが、正直、コンテンツそのものは、私、何が面白いのかさっぱり判ってなかったりします。
一つ前のエントリにも書いたとおり、私はケータイの狭い画面・煩雑なUIで「しか」アクセスできず管理もできないようなブログを、購読したいとも思わないですし書きたいとも思いません。
苦労して書いてもGoogleにも検索されず、情報の伝達範囲も極度に限られているメディアに、私個人は利用者としては魅力を感じないのです(普通の人には、むしろその配信限定性こそがよいのかもしれませんが)。
ですので、コンテンツの面白さ、という意味の興味は限りなく0%だったりします。
しかしながら、俺個人が「面白さが判らない」と言ったところで、虚偽のニュースリリースやアクセス統計を出しているのでない限り、このコミュニティがMixiをも上回る勢いで増殖しているということは事実なわけです。
それに対する、俺の判らない物が何故流行るのか、という社会心理的な背景を知りたい、というのが興味の5%くらい。
そして残りの90%の興味が、よく判らないけれども流行っている、その事実を受け止めれば、Mixi以上の勢いで拡大しているコミュニティで、しかもそのユーザが皆、必ず自分の位置情報を公開してアクセスしてきている、そういうメディアが現れてきた現実の中で次に何ができるか、そこで起こり得るビジネスの可能性、というその次の展開に興味があるわけです。
そういうわけですので、この記事を読んでBitPetsに入られても、もしかしたら私と同様、何がおもしろいのか判らないかもしれません。
その点はひとつ、記事の主旨を理解いただきたく。
2006年08月05日
PCから見るWebの世界と、ケータイから見るWebの世界は別物なのだなあと実感
ここギコは、もともと位置情報といっても、人が今いるその時・その場所の情報を発信したり受け取ったりできると言う、そういう世界を理想として掲げてきました。
なので、大元はケータイWebの世界を中心に考えてきたという経緯があります。
私が各キャリアのケータイの位置情報取得仕様に詳しかったり、やけにHTTP::MobileAgentの仕様に絡むのも、そういう経緯からいけば当然の流れでした。
そして、そういうふうに当たり前にケータイWebを受け入れていた身からすれば、ケータイであろうがPCであろうがWebはWebで、机の前で座っている時の情報収集はPCで、電車なんかで移動中の情報収集はケータイですると使い分けてるだけで、本質的には同じものを見ていると言う意識でした。
もちろん、ケータイのキャリア毎の公式サイト等、どうしたってPCではアクセスできない閉ざされた世界もあるわけですが、そういうものを除けば同じものをデバイスを使い分けて見ているだけと、私の中ではそういう意識であり、それはまた、他の人もそういうもんだと思ってました。
でも、最近2つの驚きを体験したことで、両者が普通の人にとっては完全にわかたれた世界なのだと実感しました。
ここまで両者は住み分けられていたのかと、中々の驚きでした。
1つは、BitPetsという、ケータイ向けの位置情報を活かしたペット育成・友達づくり・ブログ作成等のサービスを知った事。
これは、ちず窓でうちに情報をリークしてくれた元昭文社の中の人が、スピンアウトして作られたリビットという会社のサービスで、最近そのスピンアウトの話題を聞いたので会社Webにアクセスして知ったサービスなんだけど。
このサービス、知ってました?
Googleとかで「BitPets」「ビットペッツ」とかで検索しても、せいぜいそれぞれ500件とか4000件とかしか出てこないくらい、PCのWebSphereでは話題になってないみたいです。
でも、会員数10万人だそうですよ、それもサービスインから4ヶ月程度で。
10万人と言えば、あのMixiだって、ほんの1年ほど前は20万人だか30万人だか、って言ってた世界ですよ。
というか、正確に調べてみたら、Mixiでも10万人に達するのにBitPetsと同様プレオープンから考えると、7ヶ月かかってる。
つまりMixi以上の拡がりを見せてるわけです。
実際私も入会してみて、アクセスして判ったけど、むちゃくちゃ盛況。
BitPetsに入会してペットを飼えば、おまけでBITブログというブログサービスがついてくるんだけど、みんなすげえ勢いで書きまくってる。
このブログ、PCサイトからは見られないんですよ?ケータイのあの小さい画面からしかアクセス手段がないブログなんです。
PCとケータイのWebの世界は連続しているはずだ、べきである、というステレオタイプを持っている俺なんかからすれば、そんなブログ書こうとも思わないんだけれども、それだけで完結している世界、そしてニーズが、わずか4ヶ月で10万人、Mixi以上の拡がりを見せる規模で、確かにある、ということなのです。
これはすごい衝撃、驚きでした。
ちなみに、BitPetsのサービスはどんなもんかというと、入会するとたまごっちとかのようにペットが飼えるのだけれど、それの世話をする際にその場所の位置情報を取得して、その場所で散歩をさせると、周辺のユーザのペットと仲良くなって友達になったり、ペット同士の子供ができたり、また周辺で書かれたBITブログの記事を見つけてきたり、とペットがその場所に対するエージェントのような役割をして、それを通じて他のユーザと知り合ったり、ユーザ同士も友人になったりと、いろいろ遊べるサイトになっています。
まあ言えば、ペット育成ゲームと位置情報ベースのSNSとブログが一体化したような、なかなか面白いサービスになっています。
そりゃMixiを上回る勢いでユーザ数得たら、スピンアウトして別会社起こそうという気にもなるわな。
おまけにその上で収益得るモデルとしては、まだほとんど先駆者がいない(シリウステクノロジーズとかがやってるけど)オンデマンドな位置情報ベースの広告の世界。
これは中々将来が楽しみなサービスと思えます(全然PC-WebSphereでは知られてないけど)。
もう1つの、驚きはこれ。
[N] GoogleをProxy代わりにする方法 のはてなブックマーク
ちょっと待てい!今更その話題にブックマーク数300件近くかい!!
もう元サービスのhttp://www.google.com/imodeなら4、5年近く前から、http://www.google.com/xhtmlでも2年前の10月くらいには既にあったサービスだし、ケータイでWeb使いこなしてる連中なら誰でも知っている話だぞ?
ケータイからWeb情報にアクセスしようと思ったら、一般サイト直接は見れないのが多いので、Googleで検索して、Google串通して簡易HTML化して見るのは常識。
というか、前にも書いたけど、そのhttp://www.google.com/imodeしかなかった時代に、auのケータイからアクセスするとWAP端末と判定されてWMLのサイトにリダイレクトされてしまい、auからだけはそのGoogle検索⇒Google串が使えなかったので、さらに串を通してi-mode端末からのアクセスのようにUA偽造して、auからでもhttp://www.google.com/imodeが使えるようなサービスをやってたのが、うちのここギコ!サイト。
2004年10月、まさに件のhttp://www.google.com/xhtmlができて、そちらはauからでもアクセスできるようになったので、ここギコ!での串提供を辞めたのだけど、それまでの1年半くらいの間、非公式だったうちのサイトでさえ、月間70万PVのアクセスがあった。
そのくらい、ケータイ使いには知ってて当たり前のサービスなんだけど、まさかこれほど知らない人がいるとは思わなかった。
俺のようにPCとケータイを、単なるTPOに応じたデバイスの違いとして、その場の状況に応じて当然のように使い分けている身からすれば、その他の人にとって相互の情報がこれほどまでに断絶しているというのはすごい驚き。
PC-WebSphereとケータイ-WebSphereは異なるものとして、確かに存在するのですね。
断絶している場所と場所に対して、一方にある価値のあるものをない方に運ぶのが商売の基本だと思うのですが、その意味ではこの断絶を利用して、何かの一方にしかない情報やサービスを他方に流す事を考えれば、意外なシノギのネタが隠されているかも、と思いました。
光武帝、萌えました
弾さんのエントリ
光武帝の伝記キヴォンヌ -404 Blog Not Found-
中国の皇帝で、ベストといったら、光武帝だと思う。
や、そこからリンクされていた「光武帝と建武二十八宿伝」とか見て、すっかり光武帝萌えになってしまったねねです。
いやあ、こんな人も知らず歴史好きを自認していたとは恥ずかしい。
今まで萌えていた西漢武帝(というよりはその頃の将軍に萌えていたのですが)より、はるかに面白そうです。
この人の伝記書くとしたら、「天地之性人為貴。」あたりのキーワードから、確かに田中芳樹が適任かも。
期待アゲ。
そういえば弾さんも挙げていた、
|
田中 芳樹 狩野 あざみ 井上 祐美子 赤坂 好美 皇 名月
講談社 (1998/12) 売り上げランキング: 49,264
おすすめ度の平均:
やっぱ、歴史ってのは人物なんだよねぇ。 皇ファンにはオススメ! 醜女は描きにくい? |
これ、田中芳樹ファンでもあり、井上祐美子ファンでもあり(井上祐美子さんは高校の先輩)、皇なつきファンでもあるのに何故か買ってなかったな。
今金ないけど近々買うとするか。
でも、私が今読んでる塚本版の光武帝、弾さんにはDISられてしまいましたが、確かに、
- 実際、著者の塚本氏が、本書で何を書きたかったのかがさっぱり見えない。...フォーカスがぼけぼけなのである。
- 致命的なのは、数々の名台詞がほとんど出てこないこと。出てくるのは「妻を娶らば陰麗華」ぐらいしかないというのはあんまりなのではないか。
- 実際本書は劉秀が即位するところで終わっているのだが、それであれば「光武帝」というタイトルはあまりに偽りの多い看板なのではないだろうか。
あたりは問題なんだろうけど、
- ただでさえ「人間としての面白みに欠ける」劉秀が、さらにつまらない優男にしか見えない。
あたりは、弾さんと違って読むのが遅い私は中巻の3分の1くらいまでしか読んでないので、光武帝がビジュアル的に真に英雄的な?
光武帝の面白さ:武勇がすごい
昆陽の戦いでは、王莽の新軍百万──実数42万の大軍に3000人で突撃して中央突破、その将軍である王尋を斬り、それに調子づけられた味方数万も参加し、ついに壊滅させた。
あたりがどう書かれているか判らないのでなんとも言えないのだけど、少なくとも今まで読んだ限りでは、劉秀と周辺とのやり取りは、別にあの位のぬるさでもいいんじゃないの?という感じはする。
過去にこんなエントリも書いたけれども、英雄ではあれあまり英雄英雄して書かれると、生きた血が通わないんじゃないかと言う気がするのです。
弾さんのいうhistorieかgestaeか、という差はあるかと思いますが、少なくともhistorieでは。
先の私があげたエントリでの、河井継之助を描いた星さんの本でも、gestaeとはちょっと違うかもしれないけども大局的に時代全体を俯瞰した作品では、継之助は英雄的に書かれているけど、継之助のhistorieとも言える作品では、継之助はあっちでつまづきこっちで悩み、あそこで居丈高になりかしこで弱腰になり、個々の局面ではちっとも英雄に見えなかったりする(読み返しながら書いているわけではないので、残っている印象でだけど)。
実際の英雄ってのもそんなもんじゃないかなと思うのです、例えば、当世で言うならホリエモン、私は彼に対して評価は是々非々だけど、検察の追及に対して決して節を曲げなかったくだりなんかは多分に英雄的だと思うのだけど、拘置所から出てきた時の精悍な風貌から一瞬にしてリバウンド、とかいうのを聞くと、実に人間的で面白いなあと思うのです。
翻って、塩野作品なんかでの英雄の描かれ方を見ると、塩野作品5年近く読んでないし読み返そうにも実家なので覚えている印象だけで書くと、「カエサルは(アウグストゥスはだっけ?)一つの行動を行うにも決して一つの目的だけではしなかった」とかで人間像を書かれても、確かに感銘はするんだけども、あまりにも完成されすぎていて取り付くシマもなくて、変な話悪く言えば「はあ、そうですか、そいつはすごいことでございました」と鼻白んで終わるような、そんな印象も持つんですよね。
もちろん、例えば塩野作品なんかでもカエサルやアウグストゥスなんかの失敗伝なんかもちゃんと記されているわけで、そんな中から読者はgestaeの合間を自分の経験などから補完して自分なりのhistorieとして受け取り、カエサルやアウグストゥスの精神構造に接するわけですけども。
そういう補完を考えなければ、塩野作品はプロジェクトX的というか、いい面(成功しか書かれていないというわけではなく、失敗も書かれているのだけれど、うまく説明しにくいな、プロジェクトXだってプロジェクトの行き詰まりを描くじゃないですか、そんな感じの)しか描いていないという感じがして、そのまま補完なしに受け取ると英雄が完全無欠のロボットのように感じてしまうようなきらいがあるんですよね。
んじゃなくて、英雄だって汚い事だってするし、嘘だってつくだろうし、体裁だって取り繕うだろうし、そういう点をhistorieでは描いて欲しいなという気がするのです。
もちろん、塩野作品はgestaeであり、はたすべき役割が違うだろうので別に上の文は塩野作品を貶めるために書いたわけではないです。
要するに、塚本光武帝はhistorieなので、やっぱり描き方も変わってくるんじゃないの、という話をしたかったのでした。
先にも書いたとおりまだ全体の9分の4くらいしか読んでないので、全部読んだ後では上を考慮に入れた上でも、私も orz になってしまうかもしれませんし、historieとしても田中芳樹が書いた方が面白いかもしれませんが、一応最初に紹介したものとして弁護をば。
ジェネリック医薬品を調べてみた
頚椎変型症からくる手の痺れ治療のため、毎月の医療費が3万円超えのねねです。
暑い日々が続く中、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
正直、今の仕事はストレス多いものの中流の中くらいは稼げているのですが、それにもかかわらず何故か生活苦しい気味なのは、原因の一つが医療費の家計圧迫によるものである事は火を見るより明らか。
だって年収にして、額面より40万円近く低いのと同じ計算になるもんな。
というわけで、最近話題のジェネリック医薬品とやらいうのに興味を持って、ちょっと調べてみました。
今私が飲んで
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やっぱ、歴史ってのは人物なんだよねぇ。
皇ファンにはオススメ!