2008年11月30日
0系こだまとひかりレールスターに乗ってきた ドクターイエローも見た
ちょっと前なんだけどね。ジオメディアサミット関西やってきた帰りなんで、11月8、9日。
今日息子をプールに連れて行ったら、教官の兄ちゃんが今日0系引退の話を子供達の前でしていたので、思い出した。
とりあえず、初めての新幹線であるところの0系には、引退前に息子を一度乗せてやりたかったので、ジオメディアサミットで大阪に行くついでに、予定を組めないか画策。
そしたら、0系こだまの運転時刻表を見ると、新大阪が絡む運転は、早朝6:12と7:59の新大阪発下り電車と、早朝7:47と深夜23:21大阪着の上り電車しかないっぽい。
いずれにせよ「泊まり」を絡めないと乗れないっぽいので、実家が姫路にあるため姫路に一泊し、早朝の上り0系こだまに乗ることにした。
ついでに、ひかりレールスターもいずれ廃止、ということなので、ついでに乗ってくることにした。
11/8の夕方、ジオメディアサミット関西終了後、時間潰して新大阪で息子と合流。
息子、品川?新大阪間、N700系のぞみ139号での、初めての一人旅行。
つっても、席も全部お膳立てされて、乗り込むところまで母親に付き添われて、降り口ではすぐ父親と合流して、なのでたいしたアレではないけれど。
実際、それでも一人旅終えてちょっとはしっかりするかと思ったが、甘えたれなのは以前のまま。

▲ ひとり旅行してきたN700系とパチリ ▲
その後、姫路へ向かうのに、700系ひかりレールスター、ひかり487号を選択。
残念ながら、ひかりレールスターの特徴とも言える個室コンパートメントは、3名以上でないと取れないらしく乗れませんでした。
でも、親も息子も初乗りなので大興奮。
親はひたすら、ケータイ国盗り合戦とあんてなめぇにいそしんだ。
神戸あたりって、ほんまにトンネルだらけで位置とれないのな。
後、淡路島の対岸盗りと姫路の飾磨方面盗りができなかったのが痛恨。飾磨は姫路到着後、実家の自動車でちょっと南に下がってもらえば盗れたはずなので、頼めばよかった。

▲ ひかりレールスター、初乗り。2列2列の座席配置でゆったり ▲
姫路には夜中の21時半につき、実家に泊まって翌日早朝の出発。
8時間ほどしか実家にいなかった、慌ただしい旅行。
でも、あんてなめぇのアンテナ命名は、実家近くのアンテナにしっかり旅行記念の名前で残してきました。
姫路からは、7:05発の0系こだま620号で新大阪へ。
駅のホームには、さすが引退間際の0系が来るとあって、カメラ抱えた鉄ちゃんが十人以上。
一緒に乗り込んだ客も、学生っぽいのから、うちのように親子で乗ってるの含め、ほとんどみんな記念乗車っぽい。
ただ、さすがに早朝の下り電車とあって、一両に10グループ程度しか乗っておらず、先頭車の先頭席に乗れたくらい、ガラガラだった。
たった6両の短い編制だったので、降りる直前に先頭から最後尾まで、探検もしてみた。
キャビンや売店部分等、そういえば昔はこんなだったよなあ、と懐かしい感じでした。
無論、帰りも飾磨や淡路島対岸盗りは成功せず。

▲ 姫路から0系こだま乗車 ▲
新大阪では、折り返しの下り運転に乗り込む&写真を撮ろうとする鉄ちゃんだらけで、ホームはラッシュアワー状態。
写真を撮るのに柵から身を乗り出さないで!と駅員さんが絶叫しまくっている状況でした。
朝早くに新大阪についたので、これからどうしようか、ということで、おりしも「さよなら0系」特集の記念展をやっていた交通科学博物館に行くことに。
でも10時オープンと言うことで、ちょっと早いので新大阪構内で、息子にカメラを預けて特急車輌等の写真を撮りまくった後、ジオメディアサミット中に盗り損なった国を回収するため、環状線を逆回り(京橋方面)して弁天町へ。

▲ 電車でGo!とかでよく遊んでる、サンダーバードもGet! ▲
しかし、大阪市内の国盗りの国分け、かなりたいがいだな(<誰がやったんだというツッコミが)…。
いや、先に割り振る国数が決まってて割り振るとああ分けるしかなかったけど、環状線のほぼ西半分から南港あたりまで、南北に動くと国が変わるけど東西に動いても全く国が変わらないのは泣けてくる。
南港で平野あたりの国が盗れたりするからな...。
弁天町についてもまだ30分くらい時間があったので、近くのマクドで時間つぶし。
利用可のコンセント借りてケータイの充電。
開館時間になって博物館に入ったけど、こともあろうか息子がマクドのトイレにカメラ忘れてきたので、取りに戻る羽目に。見つかってよかった。
博物館では定番の、HOゲージのジオラマ運転見たのだけど、俺も関西人ながら、関西人のちょっとエゲツないところを実感した感じが。
ジオラマの一番前には座って見られる席があるのだけど、だいたい東京ではそういう席は子供に優先させる感じがするのだけど、大阪では堂々と大人が一番前の特等席に陣取ってる。
んで、うちもせっかく早めに来たんで、最前の席は陣取られてたけど席間の隙間が空いていたんで、そこに息子送り込んで立たせて見させようとしてたんだけど(俺は最後列)。
そしたら、後から来た人から、「前の方の子、立たんときやー」とツッコミが入る。
いや、普通に、子供が立っているより、最前席に座った大人の方が高いし邪魔なんですけど。席のないところに座ったら子供だと全く見えないし。
でも、あまりうるさいので、息子を私のところまで来させたんですが、そしたらすかさず後から来た他の子がそこに入り、結局その子が立って最後まで見てた。
息子は納得がいかない顔でしたが、どうにもエゲツないなー、と思いました。
帰りはN700系のぞみ86号で、東京へ。
実は、息子は今回来阪時含め、N700系には何度も乗ってるのですが、私はN700系初めてだったりします。
私の来阪時は、名古屋を過ぎたあたりでケータイが電池切れで、それから新大阪で充電キット買うまでの間の国が盗れなかったので、帰りは盗り逃すまいとN700系のコンセントに期待したのですが、3人掛けの席になってしまい、コンセントは窓際のサラリーマンの足下で、結局使えず。
でも、マクドで充電していたおかげで、なんとか最後まで持ちました。
ただ、さすがに親も息子も疲れて途中爆睡してしまったため、大津あたりと岐阜あたりの国は数国、帰りも盗り逃してしまいましたが...。
息子の一人旅行初体験、0系こだま、ひかりレールスター、私のN700系初体験と、新幹線関係で盛りだくさんだった旅行でしたが、品川についての最後の最後ですごいラッキーが。
品川で改札に上がろうとすると、「回送列車が来ます」というアナウンスが。
私はボーッとしてたんですが、何かピンときた息子が、「ちょっと見ていこう!」と足止めするので待ってたら、なんとドクターイエローが!

▲ 超ラッキー!ドクターイエローゲット ▲
普段ボーッとしているくせに、こういう場合の息子の勘の鋭さには驚かされます。
走っているところですら滅多に見られないドクターイエローが、こんな近くで停まっているところをまじまじと見られるとは...。
と言う感じで、新幹線がらみで超イベント盛りだくさんの旅行レポートでした。
2008年11月28日
文化は変わっていくのは当たり前だからこそ、今問われているのはリアルタイムの選択
先のエントリのコメント欄でのmunyuuさんとのやり取りで、以前munyuuさんからいただいた「大和民族を捏造した」という指摘は誤りで、私と彼との見解差は、「大和民族とも言えるクラスタが滅びたか滅んでいないか」と言う点につきることが判りました(大和民族は滅んだ、という視点がmunyuuさんの視点です)。
で、議論を続けたいのですが、いきなりmunyuuさんが新たにわけの判らない発言を。
はてなブックマーク > 純血アイヌ、杉村京子さんの言葉 - 人間科学研究所 【えっせい】-石田・横山-
munyuu で、生き残ったのは和人で、アイヌも和人も日本人になったのでした。文化や血なんて、いくらでも変わっていくモノです。
...この短い中で矛盾だらけで、どこから突っ込んでいいのか判りませんが...。
「生き残ったのは和人で」
-
含意するところは「アイヌは滅んだ」でしょうが、純血アイヌが死ねばアイヌは滅ぶのですか?純血でなければアイヌでないと?木原仁美さんはアイヌではないのでしょうか。なぜそこまで純血にこだわるのかよく判りません。本人のアイデンティティの問題では?
-
また、一方でmunyuuさんは私のエントリでのコメントで、「アイヌも琉球も大和もすでに滅んでいるのです」と書かれていませんでしたか?「大和民族=和人」は滅んだのでは?「和人は生き残った」ってどういうこと?「和人=大和民族ではなく、和人=日本人だ」と言う逃げはなしの方向で。まさに「アイヌと和人がインタラクションを起こしている段階での、非アイヌ側のクラスタ」について、何と呼ぶかについて先の議論をしてきたので、そこでそういう逃げをされれば先の議論の意味が無くなります。
「アイヌも和人も日本人になった」
- 一つ前のツッコミとも重なりますが、アイヌは滅んだと主張されているわけなので、日本人になった、というのは論理矛盾はないので判ります。
では「和人=大和民族」は何時滅んだのですか?その論証なしに「アイヌも和人も日本人になった」と言われても、全く腑に落ちません(もちろん、「国籍」で話すと、アイヌも大和も「日本人」であることには変わりないですが、munyuuさんの語られる「日本人」は、「日本国憲法と立憲君主としての天皇を奉じている「日本民族」」であることは、munyuuさん自身が明示されているので)。
大和民族が何時滅んだのかをmunyuuさんが明示できないのであれば、「アイヌも和人も日本人になった」等と、両者が等価に合わさって何か一つ上の概念に止揚したような表現をされていますが、その実結局は「日本民族=大和民族」であり、munyuuさん言うところの「滅んだ」のはアイヌの方だけで、そこから見えるのは「大和民族が数を頼みにアイヌ民族を押しつぶした」という、 ごくごく類型的なエスニッククレンジングの構造しか読み取れないのですが。
ましてや、まだアイヌ民族を称している人がいるにも関わらず、勝手に「両民族の融合は完了した」等と多数派側から主張するのは、完全に征服者の論理で、そういう発想こそ戒められているんじゃないのでしょうか?(第7条:先住民族は、以下の行為の防止およびそれに対する矯正・賠償を含め、エスノサイド(民族根絶)および文化的ジェノサイドにさらされない集団的および個人的権利を有する)
「文化や血なんて、いくらでも変わっていくモノです」
- 全く同感です。
いくらでも変わっていくものだからこそ、マスで押しつぶして放置しておけば、滅びて二度と元に戻らなくなるでしょうし、適切にケアすれば、周辺諸文化と刺激し合って、新しい文化に止揚していくと思いますが違いますか?
「いくらでも変わっていく」なんて当たり前の事は誰でも言えることで、今問われているのはその変わっていく中でリアルタイムに、我々が今何を取捨選択するか、主要民族の文化以外は滅びて当然として埒外に置くのか、それとも主要民族の文化も少数民族の文化も同等の価値ある物として残していくのか、だと思うのですが。
今回の発言で、munyuuさんの「アイヌも大和民族もいない、いるのは日本民族」という話は、結局のところは「大和民族がアイヌ民族を文化的に圧殺し完了したので、今は「大和民族及び大和民族化したアイヌ」=日本民族しか残っていない」という在り来たりの主張に過ぎなかったというのがはっきりしましたが、
ではmunyuuさんは、現時点でも「私はアイヌ」と主張している人に対しては、民族を捏造して国家を分断する反乱分子、非国民として認識されるということなのでしょうか?
日本は、全員が「私は日本民族」と言うようになるまで、引き続き無言のエスニッククレンジングを突き進めなければならない、ということなのでしょうか。
とりあえずツッコミどころ満点の新たな発話が出たために、本論はまた次の機会に。
アイヌリンク:
G-SHOCKに初の「北海道モデル」?NORTHERN VOICE MADEデザイン
同商品は、「G-SHOCK」では初となる北海道モデルで、100本限定生産。デザインは、同社佐々木大輔社長率いるNORTHERN VOICE MADEによるもの。「雪」をイメージしたホワイトのボディーに、北海道の先住民族アイヌをモチーフとしたオリジナルのトライバル模様があり、時計の裏には北海道の地図が刻印されている。
まあ、たまにはこんな話題も。
2008年11月27日
Gmailで必要なメールが迷惑メールに埋もれる確率を減らす簡単な方法
なんか最近、GmailのSPAM判定精度落ちてきたような...。
受信トレイにも10件に1件はSPAM混じるし、かと思えば友人からの大事な私信は迷惑メールに埋もれてたりするし。
なんか、コンタクトリストに友人のメアド含めておけば、そのメアドからのメールは迷惑メールには埋もれない、という話も聞くけど、主観的に絶対嘘だと思うんだけど、どうなんだろ?
何度も友人のメール、迷惑メールに埋もれてたし。
その都度、そのメアドがコンタクトリストに含まれてるかつき合わせているわけじゃないけど、何度もメール送ってる相手だし、入ってるの間違いないはずなんだけど。
で、悩んでたんだけど、最近、「大事な私信が迷惑メールに埋もれる」問題については、もちろん100%じゃないけど飛躍的に精度を上げる方法を思いついた。
単純なんだけど、フィルタオプションで、本文中に自分の名字が含まれるメールについては、迷惑メールフォルダに入れない、という設定をすればよい。
自分の名字が本文中に含まれているということは、先方がこちらが何者かを認識して送ってきてるというわけだし、親しき仲にも何とやらで、いくら超仲がよかろうがいきなり呼びかけもなくメールを送ってくる人はそれほど少なかろう、ということで、これは効くと思う。
ただこれだと、先方が「こちらが誰か」を認識して送ってくるDM(例えば、楽天なんかで、自分で納得してOKしたメルマガなんか)は、フィルタできなくなるので注意。
名字が含まれているメールをアーカイブしないように設定しておけば、たとえDMをアーカイブするように設定していても、打ち消されて受信トレイにDMが入ってきてしまう。
これは、必要なメールが霧散してしまう損害に比べれば、仕方ないのかなと思って我慢してるけど、よい方法があったら教えて欲しい。
アイヌリンク:
杉村京子さんはすでに故人となられている。彼女とは8年ほど前にお宅を訪問して、お話を伺った。彼女は「シャモ(和人)が憎い」とはっきりと仰った。残りわずかな純血アイヌとしての誇りがそう言わせたのは当然である。その際に、滅び行くアイヌを憂えて我々に一つの問いを投げかけた;
「種を滅ぼすにはどうしたらいいと思うか?」
我々の誰も正解を答えることはできなかった。彼女は笑みを浮かべながら次のように答えた;
「保護すればいいさ!」「差別・弾圧をすれば、選りすぐりの強い種が残る。だけど、保護すれば一気に生きる力さえ失って、保護に甘んじるために、自分の文化も捨てて迎合するさ!」
歴史のダイナミズムの元では右翼こそ変わらなければならない
はてなブックマークがリニューアルしたみたいなので、私もdel.icio.usから移ってみようかなあと思って移ってみたよ。
移転には、bookeyとか言うの使った。
いっぺんに移せて便利、だけど一斉移転の処理中にエラーが出たエントリの詳細が判らないのと、移転先ブックマーク側の日時が移転作業日になっちゃうのがちょっと嫌。
後者はシステム仕様上仕方ないのか。
作業しつつ、過去のブックマーク記事をつらつら読んでたら、ああ、こんな話題あったよね、とか懐かしいものもいくつか。
いくつか改めて言及したい話題も見つけたので、書いてみる。
引用部分の前のほうで、稲葉は田島正樹の「左翼と右翼の対立は、単にそれぞれの主張内容の違いによるのではなく、対立があると言う者と、対立がないと言う者との間の対立」という議論を紹介して、左翼と右翼が対称的ではないことを示唆します。ここでは、政治的共同体の内部に分裂や対立が潜在的に内包されていると見るのが左翼、それに対して共同体自身は本来は分裂を含まない統一体で、危機は外にいる外敵によってもたらされると考えるのが右翼、ということになります。こうして、田島の言うには「したがって、左翼と右翼が対立していると見る見方は、実はもっぱら左翼の見方であり、右翼は自分を右翼とは認めない。彼らは、自らを国民の立場、または中道を主張するのであり、国民は本来、みな和して一体であり、それでもあえて対立する者たちは、敵にそそのかされ、操られた非国民と見なすのである」ということになるんだそうです。
はてブとかみてると、一方的な決め付けだ、とか異論はあるみたいだけど、あえて上記の定義を受け入れるとやっぱり右翼こそ、時代のダイナミズムの中では変化していかないといけないんだよね。
なんとなれば、左翼は「対立がある」ということが前提の主張である以上、国の枠組に変化があったとしても、対立の軸に変化が出てくるだけで基本的には発想は変わらないと思うのだけど、右翼は内在的に「対立がない」ということが前提の主張である以上、国の枠組に変化が生じれば、その変化を受け入れても「対立が発生しない」よう、調整して自らを変えていく義務があるわけだ。
にも関わらず、その努力を右翼が全くしてこなかったんじゃないか、すべきではないのか、というのが、拙記事「右翼はアイヌや沖縄を包摂する論理を構築すべきではないのか」及びそれに続く一連の記事での主張なわけです。
自らあちこち進出して対立の軸となりうる目を作り出しておきながら、一方で思想は神話時代からビタ一文変えようとしないで(或いは、文末に書くけど変わったとしてもより悪い方向、排他的な方向に改悪して)、その上で「内部に対立はない、対立は外部からもたらされるのだ」等と、どれだけ都合のいい思想なんだと。
「現状に対立はある、だから争う=左翼」と、「現状に対立はない=右翼」だと、比べるまでもなく左翼の方が茨の道ですが、その分右翼は、枠組みが変わった際に思想的に対立を融和する義務があるわけで、それで両者の努力の釣り合いが取れると思うのです。
が、それすらしない右翼なんて、どれだけ怠惰な思想なんだと。屁をこいて寝てるだけか。
そうじゃない、既に対立は解消されているというなら、どのような努力の元に何が行われて、その結果どのように対立が解消されたのか、その事例を示してみてください。
そんなだから、左翼がアイヌを利用してるとかよく書かれるけど、アイヌがアイヌたろうとすれば反体制的な枠組みに取り込まれてしまうわけだし、その状況の方が不健康なわけです。
「私はアイヌだが、アイヌの祖神にも祈りを捧げてくださる天皇陛下に敬意を払う、私はアイヌ右翼だ」みたいな人も出てくる社会の方が、どれだけ健康的か。
その意味では、何度も引用してるけど、朝鮮神宮祭神論争での
皇祖および明治天皇を奉斎して、韓国建邦の神を無視するは人倫の常道を無視せる不道徳……必ず天罰と人怒を招来すべきものなり……日韓両民族乖離(かいり)反目の禍根(かこん)たるべし
みたいな感覚は、今聞いてこそトンデモっぽく聞こえるけど、本来の右翼が誠実に右翼たらんとすればこの位のパラダイムの転換は当然自ら行ってしかるべき。
このような骨太の右翼がいなくなって、右翼と言いつつその実は根幹の部分でレイシズムばりばりのなんちゃって右翼が主流となってしまったのが、現在の日本のこの手の話題が陰湿になってしまった主因なのかなあと。
その意味では、やっぱり
日本とローマの多神教は本質的に違うところがある。日本の場合は、自然に神々の数が多くなった。しかしローマの場合は、他国を征服して、その敗者の宗教まで組み入れた。征服した民族の神までローマの神々に組み入れるというのは、その神々を信じている民族の存続を認めるということでもあります。
という古代ローマの感覚はすごいよね。
さすが人類の叡智の大半が生まれた歴史のすごさというか。
保守であっても保守としての筋の通りっぷり、頭のよさが半端じゃない。
これも前に書いたけど、でも日本にだって昔は被征服者の神を御霊信仰として枠組みに取り込むフレームワークがあったはずなんだけど。
それが近代になって、将門を神田明神から分祀したり戊辰や西南の役での死者を差別したり、ましてやアイヌや沖縄の神が中に組み入れられたというような話はないし、恐ろしく排他的になったにも関わらず、その発想のまま枠組みを拡大して。
それで「内部には対立はありません、対立は外部からもたらされたものです」とか言ったって、んなわきゃねーだろ、としか言えない。
右翼ならまず右翼としての責務を果たして欲しい、論争はそれからだ、と思う。
アイヌリンク:
最近、85年前に発行された知里幸恵の『アイヌ神謡集』という古い本のことを、大手マスコミが連続してとりあげた。アイヌや自然については、私もこだわりがあり、これを機会に、思いつくままにJanJan記事にまとめてみた。85年前に知里幸恵と金田一京助によってまかれたアイヌ文化の種は、その後確実に芽吹き、息づいていることがわかり、深く感動した。とりわけ、「自然」という単語がアイヌ語にないというのは、驚きであった。
2008年11月23日
大和民族の定義云々について
はてなブックマーク > ここギコ!: 国連人権委、アイヌ・琉球文化の保護を日本に勧告
munyuu これはひどい 大和民族という新しい民族を作り出して、差別しようということですね。アフリカに民族をでっちあげて内戦させているのと同じ。文化保護と民族保護を混同しているのはわざとか?
いや、民族の虚妄性とかは判るんですけど、ただ今の日本という国が神話、歴史、言語、伝統、王統(天皇制)とか色んな物を奉じていて、その拠って立つ根拠として、いわゆる国士の方々は「父祖からの歴史・伝統を大切にし受け継いでいかなければいけない」という説明をされる。
いわば、守るべき日本の歴史・伝統を、過去からの帰納的に説明されるわけなんですが、一方で、アイヌや沖縄の人なんかに対しては、「日本国民なんだから、日本の歴史・伝統を受け入れろ(受け入れないと反日だ、非国民だ)」という形で、現状からの演繹的に説明されるんですね。
言うまでもなく、ほんの数代前まで別の神話、別の歴史、別の言語、別の伝統、別の王統を奉じてきた人たちなわけですから、「歴史・伝統を大切にしていかないと父祖への裏切り」という帰納的論理では、むしろ今の日本の国が奉じるそれらを奉じた方が、彼らにとっては父祖への裏切りになるわけです。
だから、演繹的に縛るしかないわけなんですけど、でもそれって、すごいダブルスタンダードだよね、と。
一方に対しては、「これは伝統なんだから受け入れろ」と縛りつつ、もう一方に対しては「これは現実なんだから受け入れろ」と縛る、それはおかしいんじゃないかと。
「現実なんだから受け入れろ」というのであれば、皆等しく少しずつ伝統からの逸脱をすべきだし、「伝統なんだから受け入れろ」というのであれば、皆等しく伝統を奉じられるようにすべきだろう、というのが、
あたりからずっと唱えてきたことなんです。
そういうことを考える際に、「日本「国」の奉じる伝統や歴史を、そのまま受け入れても父祖への裏切りにならない」、つまりは日本国の伝統や歴史への帰依を帰納的に説明しても破綻しない集合が確かに存在するわけで、その集合に対して、他に適切な当てはめるべき語も存在しないので、仮に「大和民族」という言葉を当てはめているだけなのです。
もちろん、その仮に「大和民族」と名付けた集合自体、たとえば両面宿儺が日本の大半では反逆者扱いですが岐阜県では英雄として祀られるように、もはや誰も思い出せない遠い昔まで考慮すれば決して一枚岩ではないわけで、それは過去に(そのような概念さえない過去に)進んできたもはや取り返しようのないエスニッククレンジングの成果なわけですが、しかし今の時点で認識できる範囲であれば、「日本「国」の奉じる伝統や歴史を、そのまま受け入れても父祖への裏切りにならない」集合は確かに存在するわけで、それらを仮に「大和民族」と名付けても、それほど違和感はないんじゃないかと思うのです(そもそも、何らかの名づけをしないと、それ以上思考が進められないし)。
もし、munyuuさんが「大和民族」と言うのはおかしい、とおっしゃられるのであれば、是非代わる言葉をご教授いただければありがたいです。
munyuu これはひどい 大和民族という新しい民族を作り出して、差別しようということですね。アフリカに民族をでっちあげて内戦させているのと同じ。文化保護と民族保護を混同しているのはわざとか?
そもそも、保護という感覚がよく判りません。
別に、今の日本語にしろ、日本歴史にしろ、伝統文化にしろ、神道・天皇制にしろ、保護されているわけじゃないですよね?
普通に国家・国民によって、政治・公教育・社会等を通じて、受け継がれなければいけないものとして、無意識に広く受け入れられているものですよね。
私は、アイヌや沖縄の言葉や伝統、歴史、文化も、日常とかけ離れたところで意識して守るもの、いわば「ハレ」で守るものとしてではなく、ごくごく普通の日常、いわば「ケ」の中で守られていくべきだと思ってます(アイヌは伝統に従って狩猟で生活すべきとか、そういうんじゃないですよ)。
なので、アイヌや沖縄の神話や歴史も日本の歴史教育で教えるべきだと思うし、アイヌ語も必須にする必要ははなくても、覚えられるカリキュラムが小学生の頃からあるべきだと思うし、天皇制は神道という一宗教の祭祀機関としてではなく、国家機関として存在するのであれば、天照大神だけでなく、オキクルミ神やアマミキヨ神にも祭祀を捧げるべきだと考えます。
別にこれは私一人のおかしな考えではなく、靖国神社の宮司をはじめとした大勢の神道人ですら、朝鮮人が日本の一部となって、朝鮮神宮を建立する際に朝鮮の神を祀らず日本の神だけを祀ったことに対し、「韓国建邦の神を無視するは人倫の常道を無視せる不道徳……必ず天罰と人怒を招来すべきものなり」とまで述べています(今の韓国人のすさまじい反日は、まさにこの天罰と人怒、だったりするのでしょうか)。
また、同じ記事の中で、「北海道開拓を含めて海外の神社に、地域を守られる「国魂神(くにたまのかみ)」を祀ることをしない悪しき先例となったのがこの朝鮮神宮」とありますが、やはりアイヌ等に関しても、同種の意識があったものと思われます。
現状がそうなっていない以上、意識的に引っ張りあげる「アファーマティブアクション」的なものは必要になるでしょうし、それを指して「保護」というのはあるでしょうが、何十年と経った後の帰結としては、そもそも保護という感覚が残っているのがおかしい、というふうになっていて欲しいと思います。
アイヌリンク:
アイヌ民族に関する政府の有識者懇談会が開かれている中、恵泉女学園大の上村英明教授(先住民族論)や北海道大の小田博志准教授(文化人類学)ら5人が「先住権サポート基金」を設立し、募金を呼び掛けている。アイヌ同士の交流や懇談会委員との話し合いを促進するための費用に充てるのが目的。
2008年11月22日
下向きの「想像力」はむしろ必要 重要なのは「創造力」をどちらに向けるか
同じく頭のいい人が、「世の中には想像を絶する馬鹿がいる」という信念の下に、カモをコントロールするやり方を模索する方向と、想像力には「上」と「下」みたいな方向性がある。
はてなブックマーク > 「下向き」の想像力について - レジデント初期研修用資料
nakano87 でも「客ってのはバカだから」みたいなことを言う企業は潰れて欲しい。
hokusyu 騙されないために騙す側にまわろうと思っちゃったバカ。こんな医者イヤすぎる。
でも、下向きの「想像力」は必要だと思うよ。
カモにするという]前提の元で、「馬鹿」なんていう言葉使っているからアレだけど、「世の中には想像を絶するほど自分とは価値観も境遇も違う人間がいる」というところに想像力を働かせる必要性は、むしろhokusyuさんのような立ち位置の人こそ主張すべきじゃないかと思った。
「下向きの想像力」とは、とどのつまりは「共感力」というのに近いと思うので。
元の記事では、意図的にか気付かずにか知らないけど、2つの段階があるのを強引に一つにまとめちゃってる。
- 「世の中には想像を絶するほど自分とは価値観も境遇も違う人間がいる」というところに思いを至らせる「想像力」
と、
- その前提の元に、すべき事を生み出し実現する「創造力」
は全然別の次元の話で、「下への想像力を働かせた」結果として、カモにしようと「下向きの創造力」を働かせるか、何とかしようと「上向きの創造力」を働かせるかは、前段の「想像力」とは何の関係もない。
...もっとも、後者では絶対に(直近、手軽には)お金は儲からないし、元記事での「お金の儲かることを思いつく = 頭がいい」という主旨から言えば、言及する必要もない頭の悪い選択なので、言及されてないのは当然かとも思いますけど。
例を挙げるなら、
はてなブックマーク > 一般常識・礼儀とブログマナー - ☆女の徒然草☆ - Yahoo!ブログ
こういうので盛り上がるわけだけど、確かにWebの常識から言えばこの人の方が非常識なことを言ってる。
それを叩くのは簡単だけど、 でも「下向きの想像力」を働かせれば、そういう「想像を絶する変な感覚」を持っている人は何度も繰り返し出てきているのだから、そこにはそういう需要がある程度ある、という見方もできるんじゃないか。
そしたら、そこから「上向きの創造力」を働かせれば、SNSほどクローズでなくとも、まったりとした情報の流通制御が出来るような、Voxやnowaのようなサービスの方向性に行き着くと思うし、さらに推し進めればOpenIDなんかを使ってWebそのものをSNS化しようとか、そういう情報リテラシーの低い人はOpenIDなんか使いこなせないだろうから、もっと隠蔽化して意識せずに使えるようにしようとか、そういう方向に進むと思う。
あるいはそもそも、そういう意識の人達のボリュームゾーンは、そもそもPCを使えるのか、ケータイがメインマシンじゃないのか、あたりまで考えてくると、Web上だけで完結せずにデバイスにまで落ちてくる話になる。
KDDIと提携して、デバイス密接のSNSを築き上げたGREEなんかは、こういうユーザ層に対して「下向きの想像力」を発揮して「上向きの創造力」を駆使した、極北だったりするんじゃないだろうか。
「「つまんない」「暇」検索に意味をもたせようと考えるのがマーケッター発想」という記事を以前書いたことがありますけど、それにも通じる話なのかなと。
「つまんない」「暇」検索を「情報リテラシーが低い」と切って捨てるのは簡単ですが、そこに「下向きの想像力」を働かせて意味を見出せば、後は「暇なんだったらとりあえず暇つぶし系のアフィリエイト馬鹿貼りしとくか」と「下向きの創造力」を発揮する選択肢もありますし、真面目に時間、場所、その他の情報からユーザのコンテキストを読み取って、真面目にレコメンデーションする方法を考えるという、「上向きの創造力」だって発揮できるでしょう。
別に想像力の向きが下向きだからといって、創造力まで下に向かせる必要はなく、上向きの創造だってできると思います。
むしろ、下向きの想像力が欠けすぎているのが今のネット界隈の問題だと個人的には思っているので、どんどん発揮して欲しいなと。
アイヌリンク:
アムネスティ日本では、世界人権宣言の採択60周年を記念し、国連での採択の日にあたる12月10日にチャリティコンサートを行います。
2007年9月、国連で先住民族の権利宣言が採択され、世界的に先住民族の権利についての関心が高まっています。そして、今年の6月には、日本の国会でもアイヌ民族を先住民族とする決議が全会一致で決議されるなど、アイヌの音楽にも注目が集まっています。
今回のチャリティコンサートでは、世界各地で平和への祈りを込めた和太鼓の演奏を行い喝采を浴びている和太鼓集団・鬼太鼓座(おんでこざ)と、アイヌ音楽を現代に復活させ国内外のロックフェスでも活躍中のOKIの初共演となるコンサートです。
2008年11月21日
ほどよい成果主義
給料に不満を感じる理由――日本に根付く“陰気な成果主義”とは?
昨日、ちょうど同僚と成果主義について話してたところなんだけど。
今の会社、前の会社も全く同じ方法だけど、まさにこの「陰気な成果主義」という奴です。
半期毎にいくつかの「目標」を立てて、半期終了後にその目標の達成率で評価が決まるという奴。
半年の間に状況が変わろうが、状況の変化のために目標が達成できなかろうが、一旦立てた目標は変更できない(これが一般的なのかは知らないけど、少なくとも過去いた会社ではそうだった)。
状況の変化に対する救済策もあって、半期終了後に目標を追加も出来るのだけど、一旦立てた目標は取り下げられないので、100点は取れない。
という感じの奴。
たとえば、割と実際にあった例に近いんだけど、新しいサービスを投入する予定があって、開発者はそれにオープン後あるオマケ機能をつけることを目標として設定したとして。
けど、目標設定後にいざその新しいサービスを投入したら、そのサービスに(バグとかレベルでない)根源的な穴があって、放置しておくとサービスそのものが危うい、という状況が生じた場合。
そこで、開発者が知恵と時間とノウハウをつぎ込んで、その穴を何とか塞いでサービス継続できた、けどオマケ機能が実装できなかった、というような場合、目標を追加することでかなりの部分救えるのだけど、でも100点にはならないんだよね。
逆に、開発者が目標にこだわって、オマケ機能の実装はできたけど、でもサービスはその翌日破綻しました、というような場合は、評価される側が自己評価で100点評価をつけることを否定できない。
結局のところ、目標が
- 状況の変化に対して流動性がなさ過ぎ
- その目標が本当に事業に対してどの程度重要なのかの査定が出来てなさ過ぎ
なところが問題なのだけど、いや、実際問題クソ忙しい実業務の合間に、そんな精密な作業なんかできませんて、評価する方もされる方も。
でも、成果主義のそういう矛盾にはずいぶん前から気付いてはいたんだけど、個人的には、去年までいた部署の成果主義は、そんなに悪いとは思わなかった。
なぜかというと、評価指標のうち、8割から9割方までが、会社目標、部門目標等に占められちゃってるのね。
個人の目標達成/非達成が効いてくるのは、ほんの1-2割程度、月給で言うところのほんの1万円か2万円、変わるか変わらないか程度。
給料のベースラインとしての基本給があって、その上に成果給が載るわけだけど、その成果給も8割方が社や部門の成果で決まる準ベースラインになってた。
「成果主義」という言葉のイメージから言えば、「それのどこが成果主義やねん」と言いたくもなるが、しかしそれはそれとして実際に採られていっるシステムとしての成果主義にいろいろ矛盾や問題点がある中では、それを薄める手段としては、こういうやり方もアリなんじゃないかなと思った。
「正しい成果が量れる」という意味ではなく、「成果主義の矛盾が現場の仕事をそれほど阻害しない」という点において。
だって、最初の例でいうなら、突発的に起こった想定外のサービスの危機に対し、自分の目標にこだわって危機の解決を蔑ろにしてると、自己評価部分は100点だけど全体評価部分はサービス潰れて0点になっちゃいましたー、ってなことになれば、都合20点しか取れなかったことになって、大損もいいところ。
でも、自分の目標はさておきサービスの存続に力を入れたら、自己評価部分は0点でも、サービスが100点なら、都合80点になるよね。
実際には、追加目標もあるので、90点は間違いなくとれるわけだし。
もちろん、ただ乗り野郎だって出てくる可能性はあるので、みんなでサービス危機に対応している時に個人目標にこだわって、その結果、危機に対応した奴が90点の裏で、100点をとれちゃう奴もいるかもしれないけど。
でも、別にええやんそのくらい。
それが許せないからとみんなで個人目標にこだわった挙句、みんなで20点、よりよっぽどいい。
実に簡単なゲーム理論の計算。
ということで、去年までの部署の成果主義は、「正しく成果が評価できる」という意味でなく、「成果主義の問題点がそれほど全体最適に害を与えない」という点で、悪くないと思ってた。
というあたりまでが、エントリタイトルで書いた「ほどよい成果主義」の主旨。
で、以下は余談なんだけど、
今年は部署が変わって、半期が終わったので目標評価をしてみたら、なんと今の部署では個人の目標の評価率が7割超だって。
普通に前の部署と同じだと思ってた。
さすがに、個人評価率が大半を占めるようになれば、半年前の硬直した目標で今の評価を定められるのは厳しい。
みたいな話を同僚に愚痴ってて、「最初の目標設定時にいろいろ目標を分散させたり、簡単な目標を設定しておいて、評価時の追加目標で大きく実際の成果を加えられる余地を残しておいたり、そういう個人のリスクヘッジが大切だよね」というライフハックを聞いて、ああそうだよねと思ったりもしたのだけど。
でも今回の場合、前の部署と評価割合が違うことを聞いたのが、目標評価の段階になってからだったからなあ...当然と思ってて確かめなかったのも悪いけど。
去年までの部署では、そのリスクヘッジが最初からシステム的に保証されてたわけだし。
まあ、別に構わんけど、それでもその結果給料が下がってたりしたら、ちょっと鬱ではあるな。
アイヌリンク:
以後は、無理して探さず、ニュースがあった時に紹介する形にします。
大阪・万博記念公園内の国立民族学博物館の前庭で二十日、道ウタリ協会千歳支部(中村吉雄支部長)のメンバーらがアイヌ民族に伝わる祈りの儀式「カムイノミ」を行った。
同館はアイヌ民族の民具や祭礼具、住居なども常設展示しているため、民族文化の伝承者だった故萱野茂さんが一九七九年から毎年一回、館内で非公開でカムイノミを行い、慰霊してきた。萱野さんが一昨年に亡くなった後も、同館は道ウタリ協会の協力でカムイノミを継続。昨年から来館者に公開している。
2008年11月17日
MooseでundefになるかもしれないObjectにメソッド委譲はできない?
Mooseで詰まったこと。
package MyApp::POI;
use Moose;
use Moose::Util::TypeConstraints;
class_type 'MyApp::Info';
class_type 'MyApp::Area';
has 'info' => (
is => 'ro',
isa => 'Maybe[MyApp::Info]', lazy => 1, builder => '__init_info',
handles => {
lat => 'lat',
lng => 'lng',
etc.,
etc.,
.....
}
);
has 'area' => (
is => 'ro',
isa => 'MyApp::Area',
);
sub __init_info {
my $self = shift;
$self->area->info;
}
みたいなコード書いてて、lat、lng、その他のメソッドをMyApp::Infoに委譲してるのですが、MyApp::Infoがundefな可能性もあるので、isaを'Maybe[MyApp::Info]'に設定してました。
で、
my $poi1 = MyApp::POI->new({area => $area1}); # $area1->info はundef
print $poi1->lat; # undefを期待 ⇒OK
my $poi2 = MyApp::POI->new({area => $area2}); # $area2->info はdefined, $area2->info->lat は35.0000
print $poi2->lat; # 35.0000を期待 ⇒結果はundef
といった挙動を期待していたのですが、うまく動かなかった。
委譲メソッドを呼んだときも、__init_infoを呼んで遅延構築してくれるものかと思っていたのですが、呼んだ時点でundefならundef扱いなんですね。
よく判らず小一時間悩んだ。
結局、委譲をあきらめて $poi2->info->lat とかにした。
2008年11月16日
人員がクラスタ化できている職場と言うのはうらやましい そろそろ限界です
ジオメディアサミット関西やFOSS4G 2008 OSAKAに参加して、他の人達の話とか聞いてて、正直一番うらやましいのは、人材、特に技術者がクラスタされていること。
YahooのLatLong Labの人員も、技術者4-5人体制の総勢10人以上の体勢だったし、沖電気さんのラボも技術者3-4人の体勢だった。
運用や監視以外、技術部分は全部1人でやっている私からすれば、うらやましい限りだ。
もちろん、LatLong Labなんかは正式業務ではなく、就業後に有志が集まっている組織だと聞くので、人数はいても実働を人月とかで数えると、別にうちと変わらないだろう。
技術者が4人いても、就業後毎日2時間だけの活動ならば、フルタイム8時間1人と作業量は変わらないだろう。
でも、やはりクラスタされていると言うのはうらやましい。
そこには、思考のクラスタ化、つまり複数の脳で相談しあったり発想を膨らませあったりするプロセスがあるからだ。
クラスタ化されていないことによって、作業量の集中も辛いし、迂闊には休めないのも辛い。
持病で腕がぶっ壊れようと、代われる人間がいないので完全には休めないと言うのは、すさまじい重圧だ(盆休みまだ取ってねー)。
でも、正直一番辛いのは、相談する相手がいないために、自分に全ての責任がかかってくる孤独感。
まだ、自分で好きなように考えた企画で、自分でユーザの声に接してどうするかを決められるならば、一人でも全然孤独ではない。
実際、アンテナ奪取を運営していた際は、辛いと思ったことはあったけど別に孤独ではなかった。
ユーザの声に直接触れられることで承認欲求も満たされ、その中から自分の価値観で自由に取捨選択・優先順位決定できるので、たった一人でも自分が動けば何かが変わるという実効感を持てるからだ。
今はただ、ひたすら孤独だ。
企画が私の知らないところで決めた、あいまいな仕様っぽいものをこちらに投げてくる。
国を盗る、という行為一つとっても、新しい企画毎に、1回の位置取得で複数のエリアを取るイベントがシーケンシャルに起こったかと思えば、次の企画ではパラレルに発生したり、その次の企画ではそもそもユーザのケータイ操作に関係なく国が盗れたりする。
また、企画毎の期間の設定も、ある企画では企画全体で国のライフタイムが一緒だけれど、次の企画では国毎にライフタイムが違ったり、はたまた次の企画では、全く別のファクターで企画のライフタイムが決まったりする。
そういった与えられた仕様っぽいものの中で、どこまでを汎用部分としてベースアーキテクチャの中に取り込み、どこからを個別のテンポラリ実装とするかを決めたり、或いはベースに取り込むと決めた要素が、既存の処理内容と相反しないよう、新しい要素を取り込んだ新アーキテクチャを検討したりして、実装に移る。
ところが、自分の実装能力や設計能力なんて正直全然自信がないので、いったん決めて実装し始めても、本当にこの設計でよかったんだろうかという疑問が頭の中でぐるぐる回る。
サブクラスで処理したけど本当はトリガで処理すべきだったんじゃないだろうかとか、企画全体のライフタイムの時は設定ファイルで設定したけど国毎のライフタイムはDBで設定するようにしたのは馬鹿な設計じゃないだろうかとか、不安が頭の中でぐるぐる回る。
実装はずっと残って使い続けるものなので、ひとつ間違えれば将来の保守性や拡張性が著しく変わるので、どうしても今の設計が間違っていたという気持ちが払拭できない時は、ある程度できていても全部捨てて1から実装しなおすことさえある。
そういう苦悩をしていても、それを理解も評価もしてくれる人がチーム内にも社内にも1人もおらず、興味があるのはその場限りの外形仕様と工程だけだ。
今どういう状況?あとどのくらいでできる?しか興味を持ってもらえない。
ひたすら孤独だ。
一方で、1人の技術に対し4人もいる企画の方は、クラスタして和気藹々と楽しげに作業をしている。
相談しあって、1つのHTMLテンプレ上の文章を書くのに、2-3人がリアルタイムに言葉を寄せ合って書き進めたりしている。
ペアプログラミングならぬ、ペア(トリプル?)ライティングだ。
いや、お互い相談したりチェックしながら作業するのは大事だし、効率のいい方法でやってくれればいいのだが。
ただ、
- 少しでも間違っていれば致命的なサービス障害を起こす
- 管理するファイル数は3ケタ台
- サービスが動いている間はずっと使われ続ける
開発作業が、相談する相手もなく孤独に全部背負い込んで黙々と作業しているその周りの席で、別に大事じゃないとは言わないが、
- 別にちょっと間違っていたってサービスが止まるわけでも致命的な損害をこうむるわけでもない
- せいぜい管理するファイル数は2ケタ台
- キャンペーンの期間中だけ表示されて後は捨てられるだけ
の「たかが文章」に何人も集まって楽しく和気藹々と作業されているのを見聞きすると、別に彼らが悪いんじゃなくて体制が悪いのは判っているのだが、多義的なイライラが積み重なって、追い詰められてる精神状態で正直に言えば、マジで全員の顔面に蹴りを叩き込みたくなってくる。
加えて、ジョエル・テストでいうところの「プログラマは静かな労働環境にあるか?」が守られていない意味でも、また俺自身が本当は完全な実装者というよりは、自分のアイデアを活かした企画がしたいと考えている意味においても。
ストレスで持病の手は動かなくなったり、また抗うつ剤飲みはじめたりしてるのも、むべなるかなです。
いや、といっても企画が4人になったのはつい最近で、それまでは2人だったので企画の方もそれなりにいっぱいいっぱいだったわけなのだけれど、それにしたって最低限のクラスタは取れてるわけだし、一般的に孤独と言われる指揮官、中間管理職、マネージャーは、金を払って外部から相談役を雇って、いろいろ相談したりしてた。
マジで誰にも相談できる先がなく全くクラスタ出来ていなかったのは、(主観で感じる限りでは)俺だけだ。
開発の方の増強手当ても一応考慮はされているのだが、そもそも探している人材の方向性がかなり乖離していて、コミュニケーションしてもなかなかそれが埋まらない。
元々がSI屋気質の会社なんで、「大塚くん、がんばれ、今外注の管理が上手な奴を探しているからな、それで君の負担も減るだろう」っていう感じで。
もちろん懸案の中には切り分けして外注に出せる部分もあるにはあるんだが、そういうのは今は全部ペンディングにしてるわけだし、今実際に動いてるのは、日々新しい要素があがってくる企画に対し、コアの部分をいかにいろんな要素に対応できるよう、再設計・改修していくかというのが中心で、そういうのは外注に出せないし、出すべきではないと思う。
「今回のキャンペーンではこういう機能を実現するんだけど、専用のテンポラリな実装をするのではなく、将来的に再利用できるよう、既存の概念とマージしてコアの部分にも改変を加えてください。もちろん、コアに手を加えることで既存の機能が動かなくなるようなことはないように」なんて要件で発注は出せないだろう。
最初に改修仕様をきっちり決めて出せればいいのかもしれないが、自分で手を動かしていてすら、書き進めていて設計変更をしたくなるような状況で、手も動かさずに「ここをこう変えてくれ」等と明確に指定できるとは思えない、つかそこまできっちり決められるならその暇に自分で手を動かした方が早いし。
...とか言いつつ、それでもようやく開発にも人員を増やそうと動き始めたのは進歩ではあるし、また求める人材についても徐々に耳を傾けてもらえつつはあるのだけれど、しかしこれまでがこれまでであまりに長すぎたんで、限界でむちゃくちゃ辛い。
先週だけで夜、何回不安の発作(全身がただ純粋な「不快」に包まれて脳が焼け付いたようになる。悪寒のようでもありのぼせのようでもあり、疲れのようでもあり空腹のようでもあり高血糖状態のようでもありで、何かが原因なんだけどそれがどれなのか自分の体の感覚が判断できなくなり、解決の方法が判らずひたすら不安に襲われる状態)に襲われたか判らない。
その度に抗うつ剤で抑えている。
職場でも先週だけでかなり何度も人と声を荒げてぶつかったし、嫌味も何度も言ったし、仕事をぎくしゃくさせた。
マジで堰が切れる寸前です。
とはいえ、個人事業主の人とか普通に孤独に仕事やっている(自社サービスとかで自分が自分の主人になっている人はまあいいとしても、受注仕事の人とか)わけだし、実際今の仕事時々外注として切り出して手伝ってもらっている協力会社の人も、開発は一人なのにしっかりやってる。
そういう人を見ると、本当に精神力が強いんだなーと感嘆する。
でも、我ながら精神の弱さに泣けてくるが、俺の精神力ではもう限界でござる(手は動かないわ不安発作は起こるわの身体症状も出てきているので、気合が足らんとかの状況じゃないです多分)。
いやもう、今月末こそは盆休みとりますよ絶対。
2008年11月13日
ジオメディア忘年会 新年会から始まり東京1、2、関西と続いたジオメディア2008の締めくくり
新年早々の、満員電車状態の会場で始まった2008年のジオメディア業界でしたが、東京での第1回、第2回、関西での第1回サミットを経て、2008の締めくくりとして忘年会を開催します。
ジオメディア忘年会2008 (OFF4G^2) 開催のお知らせ!
今回のFOSS4G OSAKAとジオメディアサミット関西併催(つっても間借りしただけっつうのは置いといて)で交流の深まったFOSS4Gの忘年会とこちらでも合流して、ジオメディア&FOSS4Gの合同忘年会として開催します。
名付けて OFF4G^2(オフフォージーノジジョウ)。
もちろん二乗は、OSGeoのGとジオメディアのGです。
元々ジオメディアサミット自体、ジオだけどなんだか交流がない、メディア系とかキャリア系とかWeb、モバイル、デバイス、etcetcの異業種間で、ジオをキーワードに交流を深めようと言う趣旨なので、こういう形で繋がりが拡大するのはうれしいです。
というか、私自身、別にジオメディアの人脈と付き合うのもFOSS4Gの人と付き合うのも、別に自分の中では何の切り分けもなくて、今回FOSS4G 2008 OSAKAの総括会議に参加した際に、森さんから「ジオメディアサミットはプロプライエタリだけど...」という話があったのを聞いて、「ああ、外部からはそういう切り分けなのか」と逆認識したくらいで。
たくさんの人が集まってくれるとうれしいなあ。
イベント詳細
- 名称:ジオメディア忘年会2008 (OFF4G^2)
- 日時:12/5(金)19:00-21:30
- 場所:モンスーンカフェ恵比寿
〒150-0013 東京都渋谷区恵比寿4-4-6
MARIX恵比寿ビル
地図:http://www.monsoon-cafe.jp/jp/ebisu/home/location/printer - 電話:03-5789-3811
- 会費:5,000円
お申し込み
下記申し込みページからお申し込み下さい。
http://lab.cirius.co.jp/gms/events/10/p/register
1エントリ・1アイヌリンク:
おもしれー。
ぜひやって欲しいなあ。
というかここまで書いてるなら俺もまじめに勉強しなきゃ。
GoogleMapsと連動したいならPostGISの他にmysqlという選択肢も出てきた あとジオメディアサミット関西も
随分以前に、GoogleMapsと連動したいなら幾何データ型よりPostGISという記事を書いたけど、徐々にmysqlという選択肢も出てきつつある、という話。
特にGoogleMaps連動に限った話ではなく、位置情報を扱う場合、ということだけど、その辺は前記事を踏襲してみた。
ネタは最近行ったFOSS4G 2008 OSAKAで仕入れたもの。
FOSS4Gに関しては、OSAKAだけでなくTOKYOも行ったので、遅れたレポートに意味があるのかはともかくまたレポートまとめたいと思っているのだけれど、忙しいわ、今指の調子がぶっ壊れてるわで余裕がない。
とりあえずこのネタだけ先に書く。
話としては、沖電気さんが発表した、mysqlに、PostGISの地理計算用関数の一部(distance_sphere, distance_spheroid)を、ユーザ定義関数として移植したという話題。
ご存知のように、mysqlでも4.1以降幾何データ型と空間インデックスには対応しているので、 経緯度座標系での矩形検索なら、これまででもできた。
で、沖電気さんではmysqlとPostGISについて、空間インデックスを使った場合の矩形検索のベンチマークを取られたらしい。
その結果、沖電気さんが選択された検索条件では、両者のパフォーマンスに10倍近い差が出たらしい(もちろん、早いのはmysql。また、あまり詳しい検索条件はちょうどその時席外してて判らなかったが、10倍もの差が出るのは並列にクエリを走らせた場合で、単発クエリならばそこまでの差はなかった模様)。
なので沖さんでは、このあたりのシステムを組むのにmysqlを選択したそうなのだけど。
ところが、構築し始めて、はたと困ったらしい。
mysqlだと、PostGISにある球面/楕円体面上での距離を求める関数(distance_sphere, distance_spheroid)がない。
単純に平面計算するdistance関数だと、東京大阪間くらいにもなると数kmで誤差が出る。
といって、工程的にもパフォーマンス的にも、もうPostGISには戻れない。
どうすんべ?ということで、考えてみればPostGISもmysqlもオープンソースなので、distance_sphere, distance_spheroidをmysqlに移植すればいいんじゃないか?というので試してみたとのこと。
球面/楕円体面上での距離を求めるアルゴリズム自体は、特に解析せず2つの経緯度から距離を求めるPostGISからのロジックをそのまま持ってきて、その上にmysqlでの幾何オブジェクト型を経緯度に変換するラッパーを書いたところ、動いたらしい。
これで、mysqlでも、クエリ一発で球面上での距離計算をした検索結果を得られるようになったわけだ。
この関数を発表したところ、mysqlのコミュニティからすごく反響があったらしい。
mysqlのファウンダーのサインがもらえたり、メインストリームのブログでも取り上げてもらえたり。
mysqlではGIS系の専門家が少ない(メインストリームのGIS系関数も、メンテナがいない状況?)らしく、すごく歓迎されたとのこと。
単にラッパーを書いただけ(もちろん、それに目をつけて、実際に作るところがすばらしいのだけど、ご本人が謙遜してそう言われていたのでそのまま書いておく)で、注目を集められるので、mysqlでは位置情報処理分野にまだまだフロンティアがあるようで、GIS系の技術者の人もmysqlだからと思わず、いろいろ移植してみてはどうか、と言われていた。
もちろん、まだまだ課題も残っていて、たとえばdistance系の関数の問題点として、空間インデックスが効かないため、まず矩形検索で空間インデックスで篩いをかけてやり、篩いに残った行だけで距離検索をかけてやる、というのが検索手順になっている。
ところが、座標系は経緯度座標系なのに対し、求める距離計算は球面上の計算なので、篩いのための矩形をどのように求めるか、というのが問題として残っており、今のところメルカトル図法に変換した座標系で関数インデックスを張ってやり、メルカトル図法上で篩いをかけたあと、距離計算するというのがベストプラクティスになっている。
が、mysqlだとまだ今のところ上記を実現する経路がないので、自前で何とかして外接矩形を求めてやらないといけない。
沖さんが、その辺をどうされているのか聞いてみたい、というか聞けばよかった。
ちなみに、FOSS4G 2008 OSAKAでは、こちらの記事でも採り上げたとおり、「第1回ジオメディアサミット関西」の併催されました。
私も、ケータイ国盗り合戦について、技術面ではなくマーケティング系の話題でしゃべったのですが、資料などはこちらで他発表と一緒に公開されていますので、ご笑覧ください。
そういえば、私、ジオメディアサミット中はタイムキーパーやっててメモ取ってないので、ジオメディアサミットについては追ってレポート、と言ってもそれほどいまさら書くレベルのものは書けないかも...。
他の人のレポートにリンク張りますので、そっちで雰囲気を感じていただければと思います。
FOSS4G 2008 TOKYOについては、いまさらではありますけれども、いずれ書きます。
- 第1回ジオメディアサミット関西の感想とジオメディア忘年会のお知らせ
- 第一回ジオメディアサミット関西、大成功です(感謝!)
- 第1回ジオメディアサミット関西に参加
- ジオメディアサミット関西でNavitte!についてライトニングトークしてきました
1エントリ・1アイヌリンク:
気軽にアイヌ刺しゅうを 札幌の学芸員 テキスト作製、技法を図解
道立アイヌ総合センター(札幌市中央区北2西7、かでる2・7内)の津田命子(のぶこ)学芸員(62)が、資料を調べるなどしてアイヌ民族の伝統的な刺しゅうの技法をひもとき、その成果を「アイヌ刺しゅう入門 チヂリ編」として刊行した。
図解中心のテキストで、初心者や身近に指導者がいない人にもアイヌ文化に触れる機会を提供してくれそうだ。
こちらの本みたいですね。(というか、またAmazonだけで楽天なかったよ...楽天で売ってたら、貯まりまくってるポイントでタダで買えるし、即効買ったんだけど)
2008年11月10日
なんか天から2兆円降ってくるらしいので みんな思い思いのところに募金なり寄付するのはどうか
経済はさっぱり判らないので、麻生総理が2兆円ばら撒くのが日本の経済を救うのかどうかについてはさっぱり評論できないのだけれど。
なんだかよく判らないまま、みんなに一律1万2千円、国民総計でいえば2兆円近い金が振ってくるらしい。
で、聞きたいんだけど。
もちろん、不特定多数に問いかけてるので、俺よりずっと苦しい人もいるだろうし、臨時収入があるならとにかく現状の改善に使いたい、という人もいるだろうけど。
そういう人は除いた上で聞くけど、正直、みんな、金に困ってる?
いや、そりゃ俺だって、余裕あれば地デジ移行前に液晶テレビに買い換えたいし、WiiやPS3だって欲しくないわけじゃないし、MacBookやiPhone・iPod Touchだって買えればいいなと思うし、OpenStreetMapの活動なんかも支援したいので、小遣い節約していつかGPSレシーバなんかも手に入れたいとは思ってる(とか書いてる間に、先日GPSレシーバはごっつ安いの手に入れた)。
でも、そんなものは自分で働いて稼いで手に入れりゃいいものだし、これがまだ数千万とか数億手に入って、NPOなり会社なり興せて、もっと違う形で社会を変えられる額が降ってくるならともかく、せいぜい自分の小さい欲望の頭金程度にしかならない額が降ってきたって、別にそれを小さい欲望のために使ってよし、とは思えない。
逆に言うと、小さかろうがなんだろうが欲望がある以上、自分で稼いだ金はできる限り自分の欲望のために使いたいと思ってしまうし、寄付する先なんかいくつもあって際限ないし、なかなか寄付等に重い腰を上げられない。
でも、天から降ってくる金なら、それほど抵抗もなくちょっと募金とか寄付に使ってみようとか思わない?
俺は思う。
というわけで、今回のバラマキ金、困ってない面々はみんな思い思いのところに、募金なり寄付してみてはどうか。
いや、お上がまともにいろいろ再分配してくれないなら、そういう形で民間で再分配する経路があってもいいと思うよ。
俺はどこにするかなあ。
もやいが最近苦しそうなのでそちら、とも思ったんだけど、つい直近にカンパしたばかりだし。
で、最近一番ムカついたのといえば、やっぱり大阪の私学助成打ち切り問題。
相手が子供と言うのもムカつくし、何より掛けた梯子を途中で外す方が、最初から梯子がないより数十倍ムカつく。
それでも、まだ橋下さんの深謀遠慮の末というのなら判らないでもないけれど、その後の「PTAが全部悪い」「家庭が全部悪い」問題見ても、どうも橋下くんその場の思いつきだけで色々動いているみたいで。
そういう「変なオジサン」がたまたま知事だったというだけで、夢を絶たれてはあまりにもかわいそうだ。
というわけで、個人的には、抗議の意味もかねて、大阪府知事宛に「金がないっつうんならこれ使え」という形で、バラマキ金送りつけようかなと思ってる。
もし賛同してくれる人がいれば、現金書留に「私学助成金財源在中」とでも朱書きして、大阪府知事宛にバラマキ金を送ってくれればうれしい。
一月8,000円ということなので、10人も賛同してくれれば、一人は1年間救えるだろう。
追記11/12 (1):上記部分を、コメント欄でのやり取りより取り下げました。詳細はコメント欄ご覧ください。
家内にこの考えを明かしたところ、家内は賛同しないと言っていた。
それよりも、あしなが育英基金とかの方が共感できるので、そっちに寄付するとの事。
まあ、個々人問題に思う社会現象は違うので、それぞれが大切だと思うところに寄付すると言う、そういう活動が起きてもいいんじゃないかなと思う。
#とはいえ、国内の消費を刺激しての景気対策という名目なので、あんまり海外の募金や、国内でも結果的に海外で使われてしまう募金(移植手術のやつとか)は避けた方がいいんじゃないかな、とか個人的には思うけど。
追記:11/12 (2):
堀江ライブドア元社長も同じこと考えてた。
定額給付金はどうしてもやりたいみたいなので・・・仕方ないから、
が、今回はチャンスです。2兆円も配られるんですからね。もともともらえるはずのないお金ですから、気前良く寄付してみませんか?無駄で非効率になりがちな役所仕事をスルーできますから、1000億が数千億の価値を持つかもしれません。その数千億が、人々の役に立つことに直接使われるのです。しかも私たちが、ダイレクトに投票できます。
私は単に「みんな寄付しようぜ!」と書いただけですが、具体的にシステム化案まで示してるあたりが、さすが元実務家という感じがします。
私は全くもって賛成します。
追記11/12 (3):
定額給付金・寄付でググってみましたが、個人レベルであれ社会への提言であれ、同じ事考えている人多そうですね。
この方向性をなんとかまとめられないかなあ...。
追記11/12 (4):
寄付の方ではなく、大阪府私学助成金対応の方をもうちょっと突っ込んで試算してみました。
- 大阪府の私学助成金の総額は年間600億円らしい。
- 削減されるのはどの程度か不明だが、1割程度だとすると60億円
- 12000円の定額給付金であれば、50万人賛同すればキャンセルできる
という感じのようです。
50万人と言うとちょっと途方もなさそうですが、ただ、実際には、
- 別に全額キャンセルできなくても、ちょっとでもプラスできれば少しでも救える。
- 実際問題として、この寄付で本当に助成金を全て穴埋めするというよりは、それを梃子にして、子供を犠牲にすべきではないというメッセージを知事に伝えて、教育予算を出来る限り削減の対象から外させる事の方が本筋。
今年はもし仮に定額給付金で埋められたとしても、来年度以降も問題は続くことから考えても。
という点を考えると、5万人、6億円集められれば成功のラインでしょうか。
5万人なら、やり方次第では現実的な線かなと。
で、この位のラインでやるなら、ネットで募るより、大阪現地で口コミ的に草の根で盛り上げた方が、うまくいくかも。
元々、財政危機にしても橋下さんが知事になったことも、大阪の有権者の過去の体たらくなわけだから、自分たちの過去のミスで今犠牲になってる子供たちを助ける、という方向性なら、それなりに共感されるかもしれない。
#飽くまで試算しただけです。どういう形ですれば実現できるかは未検討なので、本文内で削除した「現金書留を大阪府庁に送る方法」は実行しないでください。
1エントリ・1アイヌリンク:
北海道の旭川市博物館が、アイヌ民族の歴史や文化を中心とした展示内容にリニューアルされ、29日、報道関係者らに公開された。2フロアの上層階を全面改装し、アイヌなど北方民族関係の資料約200点を新たに展示。来月1日から一般公開される。
「亡びつつある日本の言語」と「日本語」、そして「普遍語」につらつら思うこと
水村美苗「日本語が亡びるとき」は、すべての日本人がいま読むべき本だと思う。
今世紀最重要の一冊 - 書評 - 日本語が亡びるとき
アルファブロガー御大2人が煽っているので、まあアイヌがらみも含め今文化の盛衰には興味があるので、一応買ってみた。
届くの待ち。
読まずに語るな!的な空気もあるけど、思ったアタリを少し。
1.「亡びる」か。「滅びる」かと思った。
Amazonは滅びるでも検索できたのに、今メインで使ってる楽天ブックスでは出ないので、扱ってないのかと思った。
この辺の検索は、Amazonのが優秀だな。
2.今リアルタイムで滅びつつある言語が何の関心も持たれていない国で、そゆこと言っても、いまいちピンとこないでござる
今まさにリアルタイムで「日本人の言語」がひとつ失われつつあり、国連から勧告まで出されている状況で、そういう煽りはいまいちピンとこないなあ。
未来の智どころか、既にある智まで無関心で失われつつある状況で。
それとも、アイヌ語は、国語として育たなかったし豊かな近代文学を生み出さなかったから滅びてもいい、という考えなのかしら。
それなら別に、力関係で普遍語として育ちそうにない日本語だって、別に滅んでもいいんじゃないの?
ダブルスタンダードで考えなければ、そうならないかなあ。将来的に何もしなければ、数十年レベルでは何か問題が起きるのかもしれないけど、今現にそれほど日本語で生きていることにそれほど切迫した危機感を持っていない状況では、むしろ同じ日本の言語・文化で切迫した危機にあるものの方に興味を覚えるよ。
単に優先順序の問題としてね。
かつ、そういうもんに目を向けてこそ、今度は自分が押しつぶす側から押しつぶされる側に回ったときに、何を訴えていくかと言う、汎言語・文化的な価値観が身につくんじゃないかなあと思うんだけど。
3.言語の住み分けがあってもいいんじゃないの?
いろんな人が書いてるけど、そもそも日本でも近世までは普遍語として、また知的文書の記述語として漢文が使われてきたわけだし、でも日本語独自の、日本語でなければ表しえない表現の文学は、俳句だの短歌だのとして独自発展してきたわけなので、別に英語が普遍語になったからといって、その国独自の言語も文化も滅ぶわけではないと思うのだが、違うのだろうか。
近世までの士大夫も、漢詩の素養は素養として持ち合わせた上で、連歌とか日本文化の素養だって持ち合わせてきたのだから、その漢文の地位が現代では英語になるだけ、ってことでいいんじゃないの?実際、こちらの人が挙げているように、ベトナムでは母語と並行して英語教育が高等教育手段として定着しているみたいだけど、別に普段社会で使っている言葉まで英語化しているわけじゃないだろうし、それでいいんじゃないのと思う。
もちろん、それすら今の英語教育政策ではやばそうなので、その辺はベトナム並みに改革しないといけないのかもしれないけど。上記リンクの同じ記事の中で、
インドでは、すでに知識人たちが自分たちの母国語(ヒンディ語・テルグ語・ベンガル語・タミル語等)で文章を書かなくなりつつあるのが、大きな問題になっているそうだ。インド人の場合、英語で書くことによって、国際市場で自分の本が売れるだけでなく、インド国内で、他の母国語を持つインド人に情報を伝達するにも、英語が一番効率的だからだ。
ヨーロッパ人やラテンアメリカ人たちは、最近は自分の母国語と同時に英語でも歌を歌う。見た目は白人で、アメリカ人と区別がつかない彼らが流暢な英語で歌を歌えば、世界的な大ヒットになることも多い。自分の世界市場にアクセスできるというのは、特に小国出身のアーティストにとっては、大きな魅力だろう。
ということが書かれていて、確かに問題なのだろうと思うけど、それなら同じように国語の海の中で、国内ですらまともに市場が成立しない日本の言語、アイヌ語についても、きちんと梃入れしなきゃ嘘だわな。
アイヌ語がまともに市場として生き残らず消滅していくのをよしとするなら、日本語だって市場の力関係の中で知的生産への適用ができなくなったって、別に構わんやん。それでも日本語を保っていく必要があるというなら、優勢な言語の奔流の中で劣勢な言語をどのように保っていくかの戦略は、まさにそのアイヌ語を日本語の中でどのように保っていくか、というのに真剣に取り組みテストケースにさせてもらって、日本語が学ばせてもらえばええんやないのかなあ。
みたいなことを書いてる間に、弾さんとこでもう1エントリあったけど。
よう判らんけど、最近存在を知った人の中で、知的にも人間的にも一番「エリートだなあ」と思ったのは、以前のエントリでも取り上げたけどこの人かなあ。
朝鮮神宮設立のことが耕次郎の耳にも聞こえてきた。最初は年来の宿願が実現されることを喜んでいたが、天照大神(あまてらすおおかみ)と明治天皇が祀られるという。「それはよくない」と耕次郎は斎藤に面会を求め、「朝鮮神宮を設立するなら、まず第一に朝鮮人の祖神を祀るべきだ」と主張した。
「総督は恥を知る人なのか。政治とは何かを知る人なのか。学者というのは、耳目にふれるもの以上のことを考えられない馬鹿者である。学者の言葉に従って、どうして生きた政治ができるのか。数千万の朝鮮人が存在する以上、祖先が存在するのは動かせない事実だ。その祖神を大国魂(おおくにたま)として祀ればいいのだ。朝鮮政治の根本義として、ただちに祀るべきである」
ちょっと間があいたけど:1エントリ1アイヌリンク:
ふれ愛コンサート:アイヌ文化の現在 差別や先住民族問題考えよう??名張 /三重
差別や先住民族の問題について考えてもらおうと、名張市松崎町の市青少年センターで12月7日午後1時半から、ふれ愛コンサート「アイヌ文化の現在(いま)」(市、市教委主催)が開かれる。アイヌ民族の若者でつくる団体「AINU REBELS」(酒井美直代表)が、歌や踊りを披露する。入場無料。
なんかちょっとブログの間があいたり1エントリ1アイヌリンク入れ忘れたりして、ニュースチェックしていない間に、東京でも大きなイベントあったみたいで、かなりショック。
2008年11月03日
小学生にかかれば大琳派も海老シューマイ
息子と家内が大琳派展に行ったらしいのですが、さすがに古美術らしく、杉等の木材の香りに満ちていたらしいのです。
で、大学生とかは、「すごい、高級料亭の匂いだねー」とか言ってたらしいのですが、小学生の息子の、過去の経験による匂いの解釈では、
「わー、お母さん、海老シューマイの匂いがするねー!」
「海老シューマイ弁当食べたいねー」
会場の空気も読まず、大声で叫んでたそうです。
...たしかに崎陽軒の海老シューマイ弁当は、確か木箱に入ってたと思うので、その匂いだと思ったのかもしれませんが...。
...息子と一緒に見てた方、すみません。
まあ、騒いでたのは一瞬で、後は静かに見てたという話なのですが...。
パウエルかっこいいな
仮にイスラム教徒が米国大統領になったとしてそれが問題なのかとパウエルは問うた
もう一つのメッセージとは何か。オバマはイスラム教徒ではないとパウエルは答え、そしてもう一つこう加えた。
「しかし、正しい答えは、仮に彼がそうであるとしたら、この国においてイスラム教徒であることは何か間違っているのか?」
「答えはノーだ。それが間違いだというならそれはアメリカではない。7歳のイスラム教徒の米国人の子どもが、大統領になろうと信念を持つことに何か間違いでもあるのか?」
パウエルかっこいいな。
小学生の頃、読んだ児童小説思い出した。
なんか、共産党員の息子がいじめられてるのを庇った主人公が、いじめっ子に「お前もキョーサントーか」等となじられたのに対し、
「何!俺はキョーサントーじゃないが、キョーサントーで何が悪い!」
という台詞を吐いていたが、題名も誰の作品かも忘れたけど強烈に覚えている。
国連人権委、アイヌ・琉球文化の保護を日本に勧告
2008/11/24追記:
本記事での「大和民族」の用法について、はてなのid:munyuu氏より異議をいただいております。
こちらの記事で私の見解を示した上で、代替案の提示をmunyuu氏にお願いしておりますが、いまだ代案をいただけておりません。
もし彼に代わってどなたか代案をいただけるようでしたら、提示いただければ幸いです。
国連「琉球民族は先住民」/人権委認定 文化保護策を日本に勧告
国連のB規約(市民的および政治的権利)人権委員会は三十日、日本政府に対して「アイヌ民族および琉球民族を国内立法下において先住民と公的に認め、文化遺産や伝統生活様式の保護促進を講ずること」と勧告する審査報告書を発表した。
おおすげえ。
沖縄が別民族という認識が国際的に示されるのは新しいですね。
以前の記事でも書いたけど、民族っつってもいろんな切り口があるから、例えば言語学的に文法や単語、音便の類似性から沖縄弁は日本語の一傍流だよ、同系統の民族だよ、とか言えたりするのかも知れない(飽くまで例えば、なので、本当に言えるかは知らない)。
でも、歴史・文化・伝統的には、完全に別系統だよなあ。
ついこの間まで、別の神話の元で祭祀をし、別の系統の王統(それも万世一系とかではなく易姓革命しまくりの)を奉じていたわけなのだから。
もちろん、沖縄人が主体的選択で、「俺は日本神話に帰依(?)するし天皇制も奉ずるし、拠って立つアイデンティティは沖縄ではなく日本人だ」と言うのは、血統とか関係なく信仰だけで繋がるユダヤ民族という例もあるわけだし、自由だと思う。
でも、これだけ長い間別の道を歩んできた歴史と伝統がある以上、自分のアイデンティティは大和民族に回収されない、という選択肢も当然自由としてあるわけで、それに対して日本という国家がどう答えるか、だけだと思うけどなあ。
言うまでもなく、本来、別に「他民族」であるからといって「反国家」には全然繋がらないわけで、むしろ「他民族」であろうとするとどうしても「反国家」的になってしまう、エスニッククレンジングがリアルタイム進行中の日本のあり方の方が問われてるんだと思うんだけど。
大和民族の祭祀は政治と密接に繋がり、また歴史や文化、伝統は公教育の中で公に教えられる一方で、アイヌや沖縄の祭祀、文化、歴史は公には無視され、一部のローカルな努力でなんとか維持されている、その状況がおかしいというだけの事だと思うのだけれど。
やれ日本人としての誇りを取り戻すために、日本人の歴史、道徳、神話等をもっと教育の中で教えるべきだという議論があるけど、その議論に含まれるのが当たり前のように「大和民族」の歴史、道徳、神話だけで、沖縄やアイヌのそれについては一顧だにされない、という状況の異常さ、それに大和民族側が気がつけばいいだけの話だと思うんだけどね。
同委員会の対日審査は一九九八年以来、十年ぶりで、人種差別・マイノリティーの権利として「琉球民族」が明記されるのは初めて。 勧告では、「彼らの土地の権利を認めるべきだ。アイヌ民族・琉球民族の子どもたちが民族の言語、文化について習得できるよう十分な機会を与え、通常の教育課程の中にアイヌ、琉球・沖縄の文化に関する教育も導入すべきだ」と求めている。
土地の権利っつうのはどうなんだろ。
爆弾のような気もする。
またぞろ、脳内お花畑のバカウヨク共が「ブサヨの利権作りだ」だのなんだの騒いでるし。
他の国の先住民族政策って、どうなってるんだろ。
先住民族の個人に、遡って土地を返したりしてるの?
そもそもアイヌに土地所有の概念がなかった頃に奪ってるんだから、返すといってもまともに法律手続きで返す主体がないと思うんだけど。
もし土地に何らかの権利を認めるとしても、それは歴史や伝統的に何らかの意味がある地に、アイヌ民族総体としての優先権を認める、くらいでいいと思うんだけど。
例えば聖地である二風谷のダムにしたって、あれは大和民族で喩えるなら、伊勢神宮ぶっ潰して公共の福祉のためにダム作りますよーってなもんで、ことが大和民族なら内戦でも起こりかねないようなアレだったと思うんだけど、ああいう無理筋に対してNoといえるような回路さえ作っておけば十分じゃないかと個人的には思う。
他の勧告、言語、文化、歴史に関する教育機会の提供に関する提言は、異議なし、全くその通りだと思うな。
================
しかし、それはそれとして、「先住民族」という言葉にもなんか違和感を感じてきた。
「先住民族」という語感だけでは、「国の主体民族が拡張した領域に住む民族」というイメージを持ってしまって、結局「国は主体民族のもの、先住民族は保護されるべきもの」というイメージができてしまうんじゃないかと。
でも、本来は「日本は大和民族の国で、アイヌ・沖縄は保護されるべきもの」ではなくて、「日本は大和・琉球・アイヌ民族の国」でないといけないわけです。
アイヌが東京に来れば、大和民族の方が先住民族なわけだし、かといってアイヌが東京に来るのが禁じられたり、或いは東京に来るなら大和民族として振舞えとか、そういうことがあってはいけないわけだし。
いやもちろん、現実として日本人の大部分が「日本は大和民族の国」としてしか認識していないわけで、その現実の元ではどうみても「先住民族」というカテゴリで考えるしかないわけだけど、もう一つ意識の飛躍ができないもんかなと。
2008年11月01日
「冷静に」「熱く」「マジ反論」でこの内容はある意味すごい
そういえばイモ畑代執行からそろそろ2週間ですが、残り7件の代執行はお済みでしょうか。
あれだけ騒がせた貴重な府民の収入6-7億円を、台無しにするようなことがないように願いたいものです。
激昂してしっちゃかめっちゃかでこの受け答えならまあしゃあないかとも思うのですが、冷静にマジ反論、でこの内容は相当にやばいんじゃないのかなあ。
- 知事は「義務教育までは平等に扱う。その先は定員があってずっと競争。それが世の中の仕組みだと自覚しないと」
「中学までが義務教育」といったって、昔のように中卒がかなりの割合いた時代と、今のようにもうほとんど義務教育と言ってもいいくらい全入に近いような状況とでは、違うと思うんですけど。
それはさておいたとしても、義務教育までは保証するといってますが、橋本知事の場合裏では義務教育レベルの教育すら、切り捨てています。若い頃、経済的事情や時代の事情で、初等教育すら受けられなかった老人や壮年の人達が、今の日本でも多数存在しています。
若者や児童ですら、やはり経済的事情や親の放任、事件に巻き込まれたりで教育を受けられなかった人達が、どうしても一定数は出てきてしまいます。
そういう人たちにとっては、夜間中学は教育に接することができる最後の砦、という状況なわけですが、それを切っておいてのうのうと「義務教育までは保証する」等と言えたもんです。私は学生時代に4年ほど、そういったおばあさん達に文字を教えるボランティアをやっていましたが、
役所に言ったら書類に署名しないと手続きできませんと言われ、文字が書けませんといったら「ふざけないでください」と相手にされず、仕方ないので「○△」とかと書いたら「馬鹿にしているんですか」と怒鳴られたと言うお婆さんの話や、
今まで街角で見えていた変なぐにゃぐにゃした模様にみんな意味があることが判った時の喜びを語るおばあさんの話が忘れられません。
そういうのも、この日本ではみんな自己責任なんでしょうか。
-
生徒「そこで倒れた子はどうなる」
知事「最後は生活保護がある」
そこで生活保護を出しますか。
すごい感覚ですな。為政者ならば、たとえ高校助成が本当にもうできないのだとしても、中卒でもその後の選択肢はある、中卒だと就職先も見つからないような印象があるけど、そんなことにならないような政治をしていく、だから耐えて欲しい、くらいな事が言えそうなもんだけど。
いきなり転落を前提に生活保護ですか。最近読んだ生活保護の本には、
- 昔は壮年期の働き盛りの人が、ちょっとブラブラしてて生活保護、というケースが散見
- なので水際作戦と称して、働き盛りの人達の申請を思いとどまらせる窓口運用が進んだ
- ところが、就職氷河期で本当ににっちもさっちもいかない20-30歳代にも、同様の運用が行われた
- 結果、逃げ道がなくなったそれらの人は、40歳代になり精神や肉体をボロボロにし、本当に社会復帰が困難になって初めて、生活保護に流れ着くケースが増加
- ボロボロになり社会復帰できない人を、その後ずっと社会が支えるよりは、十分復帰できる若くて健康なうちに、少しの間だけ生活保護で再起をかけ、再復帰し納税者になってもらう方が、はるかに社会の負担は少ない
- ゆえに、再起可能なうちに、再チャレンジのための手段として一時的に生活保護を使ってもらうような運用を今後していくべきである
という趣旨の提言が書かれていました。
要するに失敗しても若いうちに早めに社会が支援することで、社会に支えられる側から社会を支える側にもう一度戻ってもらおう、という趣旨だけど、その意味で言うならば、もっと若いうちに社会が支援して、そもそも転落しにくいようにしてやる方が、ずっと本質的です。
「高校卒業→就職」の遷移の方が、「高校中退→生活保護→就職」といった遷移よりはるかに現実的でしょう。もし「生活保護→就職」の遷移ができず一生生活保護のままならば、
- 生活保護を月12万として年間1人当たり244万円、20歳代から60歳代だけでの計算でもトータル一人当たり5760万円の社会負担
- 本来納税者側にまわっていて、月3万円ずつの納税者になっていたとしたら、1440万円の期待値の損失、支出と併せれば一人当たり40年間で7200万円の損失
- 若者の希望と絶望、というお金に計算できない損失もあり
ということで、 私学助成を受けている子供が何人大阪にいるのか判りませんが、10人が橋下さんの言うように生活保護になれば、橋下さんがイモ畑を潰してまでこだわった6-7億円が、吹っ飛ぶ計算になりますね。
というか、そこまで長期的な視点でみなくても、
- 月々8,000円程度(すみません、どこかで見ましたがソース見つけられず) 、期間は就学期間中限定
の助成金を削減する際に、その代替物として
- 月々12万円程度で期間も限定されない
生活保護を提示するあたり、為政者の感覚としてどうかしてるとしか思えません。
生活保護は社会負担がないとでも思っているのでしょうか。
別に私は、私学助成を削減したからといってみんながみんな生活保護を受けることになる、等というまでもなく思ってませんが、高校生のどうすればいいんですかという代替案の質問に対し、生活保護と答えを返したのは橋下さんですからね。
- また、無駄な道路整備などでなく教育に税金を回すべきだという女子生徒の話には、知事は腕を組んで聴き入り、「あなたが政治家になって変えればいい」。
政治家なら今の政策の、選択の正しさを説明すべきであって、文句があるならお前が変えろ、という論理が通じるのであれば、政治家なんていらないと思うのですが。
社会で「リアルタイムで進行している」色んな利害が対立するのは当然ですが、それを何らかの観点から裁定・判断し、リアルタイムな政策を決めると同時に、その説明責任を持つのが政治家だと思います。
そこで説明することを放棄して(或いは説明していたとしても)、「文句があるなら政治家になって変えろ」等というのは、そんな事いうなら本質的には「よろしい、ならば直接民主制だ」ということになると思うし、そもそも「リアルタイムの問題」を議論している際に「リアルタイムでない解決策」を提示している時点で、全く真面目に議論していると言う印象を持てないです。
その意味では、女子高生が言ったという
- 女子生徒が「それじゃ遅いんですよ」と涙をみせても
というのは、わがままでもなんでもなくて、全くこの異常な議論の本質を突いているように思えました。
それとも、政治家にさえなってしまえば、説明責任も何も必要なく、自分の胸三寸でどうにでもできるという感覚なんだろうか。
さすが、公約違反を問われて「そういう知事を府民の皆さんが選んだ」と言ったという橋下さんらしいというか。というか、そういう物言いが通るなら、それこそ光市事件の弁護団に裁判で負けるようなやり方で文句つけるくらいなら、自分が光市事件の弁護すりゃよかったのに。
助成金問題で参政権もない女子高生が政治家になってどうこうよりは、あの問題なら既に弁護士資格を取ってる橋下さんならリアルタイム性も損なわれなかったわけなのに、なんでやらなかったんだろう。
しかし、橋下さんにしろ、その支持者にしろ、自己責任、自己責任って、まだ参政権もないし自分で経済自立しているわけでもない子供に、何を大合唱しているのか。
私学を選んだのは自己責任って、助成金があったからこそ自己責任で選んだんだろうし、だからこそそれがなくなると困るので陳情に来るのはしごく真っ当で当然の感覚だと思うのだけれど、それに対して「自己責任」というのは、全く説明になっていないと思うのだが。
それこそ、私学助成しないのであれば、最初からしないでおいてくれれば、途中で辞めて無駄になった数年を過ごすことなく、中卒後すぐ就職して、時間を無駄にせず社会経験を積むという選択肢もあったのだろうし。
「みんなが我慢しないと借金はなくならない」それはその通りだろうが、その我慢を参政権があるわけでもなく、よってこれまでの借金の責任もない子供に押し付けてどうするんだ。
社会責任もない子供に「こっちで登れるよ」と梯子を提示しておいて、途中で梯子をはずした挙句「登ったのは自己責任」、梯子無しにロッククライミングするのも大変、そこから飛び降りても大怪我、いったいどうしろと。
それこそ、「みんなで我慢」っつーんだったら、「高校は行かなくてもいい贅沢物」っつーことなんだから、高校通学者全員一律に「進学税」でも取ればええやん。
で、貧困家庭からは進学税免除すれば、実質上の助成金と一緒だし、単に今のまま助成金免除するだけよりはるかに財源が増えるだろうし、いいことづくめじゃないか。
もちろん、そうする事で、今まで助成金をもらってなかった家庭も高校を続けられなくなるかもしれないが、それはそれで仕方ないんじゃないの?だって「高校進学は自己責任」なんだし、「みんなで我慢」した結果行けなくなるなら、仕方ないんでしょ?
でも、これじゃおかしいよね?
だったら、助成金削減だって同じだ。
たとえ、百歩譲って「助成金削減がどうしても仕方ないこと」なのだとしても、それで被害を受ける人が過去に為した「助成金があることを前提にした選択」に対して、「自己責任」等と嘲笑い論うのは、何の説明にもならないし、100%正しくない。
ましてや参政権のない子供が、どうしてこれまでの借金に責任があるわけでもないのに、私達だけ(みんなじゃないよね、負担増もなくこれまで通り高校に行ける人もいる時点で)が負担を押し付けられないといけないの?という問いかけてくるのに対し、真摯に向き合って必要性を語り、でも決して君達を見捨てたわけではないと語るのではなく(或いはあれで真摯に向き合っているつもりだったとしたら「脳の失敗」か)、子供でもわかるおかしな論理ではぐらかすのは、大人のやることじゃない。
というか、いつから日本は、ここまで子供に夢や可能性を与えてやれない国になったんだろう。
子供の頃なんて、普通に夢は宇宙飛行士、でいいと思うんだけど、そこにも自己責任、あそこにも自己責任て。
或いは境遇的に現実と向き合わないといけない子がいたとしても、でも私は社会に助けてもらってここまでこれた、だから大人になると自然に社会に恩を返したいと思う、そういう社会が理想だと思うのだけど。
子供達もいつまでも無垢で無知なままじゃない。
行政にイモ畑を潰された幼児達は、今は「なんか怖いおっちゃんが僕達の畑を潰した」としか判ってなくても、その強烈なトラウマを覚えていれば、いずれ「裁判所の判断を待たずに為された代執行」や「本当に他の代執行もすぐになされたのか」と言った問題点にも気付くだろう。
夢を持ってがんばっていた高校生活を助成金削減でまともな説明もなく幕を降ろされた高校生は、いずれ自分達の夢と引き換えに作られた高速道路に対して、本当に採算が取れているのか、市民の役に立っているのかということを真剣に追求するようになるだろう。
この手の問題が起こると、やれ「お上に逆らうな」的な大合唱がネット上でもあふれるわけだけど、そういうこの手の問題の当事者に対する社会の疎外が、さらに疎外を生み反社会的(悪い意味ではなく、「お上への逆らい」程度の)分子の固定に帰結していくという、このマッチポンプ状態に、どうして気付かないのかなあ。
古くは寺子屋から、近代教育まで、日本がここまで発展してこれたのは教育の充実が一つの理由だと個人的には思ってるんだけど、社会が疲弊しているとしても教育だけは、何を削減しても最後まで手をつけるべきではないと思うよ。
日本の将来を危惧する意味においても、その影響を受けるのが、直接これまでの経緯に責任がない子供達という意味においても。
やれまともな論拠もなしに「日教組が教育を崩壊した」とか何とか言ってるよりは、教育すら経費削減の対象と為政者が考えている方が、よっぽど問題だと思うよ。
日本を捨てたアメリカ人が栄典を手にしたのを見て「何とかあれを日本人にできないか」等と法律を無理やりこねくり回す暇があったら、続く世代からそれ以上の業績を出す人が出てくるよう、力を入れた方がよほどいい。
既に栄誉を取った人をむりくり仲間に引き入れたところで何も「国民としての誇り」なんて生まれるわけないだろう、それより「私は社会に助けられた」と思える子供を増やす方が、よほど国への誇りに繋がるだろうに。
...というか、どれだけ血統主義なんだよこの国は。
1エントリ・1アイヌリンク:
ainu-アイヌ文化の紹介5
![[ここギコ!]](http://kokogiko.net/logo.png)





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